ゆうちゃんの人生哲学
中学生のときに関数解析読む河東泰之先生とか、高校生のときにブルバキ読む斎藤毅先生みたいな人もいれば、大学入ってから代数学で覚醒する加藤和也先生や、子育てが一段落してから数学やり出して結果を出した人もいるらしい。始める時期は早いほど良いんだろうが、それ自体は致命的ではない
2012-06-01 23:47:37たまに小学生のときに中学や高校の勉強やってるとか、中学生のときに高校や大学の勉強やってるという人がいるけれど、何時の間にか進度が追いつかれるとその後は振るわなくなってしまうというケースもあり、中々微妙な問題である
2012-06-01 23:52:26別に凡人とか天才の話ではなかったのだが、挙げた例が悪かったかもしれない。すぐ名前が浮かんだのが彼らであって、もっとささやかな例もあるだろう。要は数学を始めるのに致命的に遅いということはないし、本人次第では何とかなることもあるということが言いたかった
2012-06-02 03:26:44確かに、いわゆる一流の研究者なら頭の良さや発想が凄いのだろうが、それはそれ。 ただやるのであれば別に何も要らないし、最初から決めつけずに、才能なんて細かいことはあまり気にしないで出来ることをやってるうちに、なるようになったりならなかったり、評価も後から決まるものじゃないのかなあ
2012-06-02 03:44:07実際に、そういう心構え一つで色々違うような気もするんだよなあ。あまり嘆いても何も変わらないし、どうせなら楽しく過ごしたいじゃないか。同じ手持ちでも、それを使ってどうするかっていうのには自由度がある。その自由度の中で考えあぐねながら、それでも楽しくやった方が道が通るような気がするな
2012-06-02 03:50:41心情が関わる大抵の何事も、自分がそうだと思うからそうだという側面があるんだよなあ。実際は思うほどではない。そうだと思わなければそれでいいし、そう思っている人には勝手に言わせておけばいいと思う。そうだと思うかもしれないなら、そこが考えどころになる。どうしたいのか、どう考えたいのか
2012-06-02 04:06:35惨めだとか違うとか、頭が良いとか悪いとか、幸せだとか不幸だとかは、自分がそうだと思うからそうである範疇だ。事実としては例えば、あることが上手くいくとかいかないとか以上のことは何もない。他者が事実をどう思いどうするかを踏まえても、自分がそれをどう捉えるかは自分自身に委ねられている
2012-06-02 04:15:30心情まで込めた事実を、真実であるかのように扱う必要は何もない。少なくとも心情だけは変えることが出来る。○○ならば心情まで込めて○○であるというステレオタイプは確かにある。それを当たり前のように考えて他人にも当てはめようとする人もいるが、彼らがいかに多くても従わない権利がある
2012-06-02 04:25:54小難しい感じになってしまったけど、要するに最初から何でも決め付けてかからなくてもいいんじゃないの、ということが言いたかった。少なくとも一度は、自分のこだわりや漠然と常識や事実にしていることに対して、本当にそれはこだわるべきなのか、本当にそうなのか、を考えてみても良いと思う
2012-06-02 04:33:04心情に関わることをきちんと考えようとすると、必然的に自分に向き合うことになる。自分と向き合うということは、すなわち自分の嫌な部分まで直視するということになる。これを捻くれないでやるのが実に難しい。自分の「大事なこと」の根っこが虚栄心、自己欺瞞、恐怖に過ぎないなんてことはよくある
2012-06-02 04:49:02他人に認められるがため、ちやほやされるため、馬鹿にされないため、馬鹿にしたいがため、自分勝手な欲や見栄のため。ではそれじゃあいけないのだろうか。きっとそんなことはない。その中で、下らない感情だと思うものに由来することならば捨て、譲れないものならば大事に持っていれば良いと思う
2012-06-02 04:55:57大事なのは、自分の信条や重要視することの根っこにもしやましいと思う気持ちがあるとしても、それでも「自分の」こだわりのために、「自分が」譲れないのだと認識し、かつ必要以上に悔やまないことだと思う。そうすれば、もう少しだけバランスと優しさを持った考え方や、納得のいく生き方に繋がるかな
2012-06-02 05:09:08でもここまで突き詰めると、きっと世間一般の考えとはかなりズレて来てる気がするんだよな。だからあまり共感してもらえないと思う。周りの環境から弾かれまくったから、こういうことを冷静に考えて、結局は等身大の自分として主体的に世界に関わっていくしかないなと
2012-06-02 05:20:59はっきり言うと大嫌いなんだよな。暗黙の了解になっている優良さや正しさというものが。それらが生む歪みや不幸が。自分が納得いく以外のことは全て斬り捨てたいくらいなんだ
2012-06-02 05:35:34例えば、頭が良ければ良い、仕事が出来れば良い、空気が読めれば良い、振る舞いの正しさ、評価や美徳、そんなことを一体誰が決めただろう。社会が決めたのか、多くの人がそう考えるからか。ルールだからか。確かにそうではあるが、それで思考を停止するのが良くない気がするんだ
2012-06-02 05:47:08優良さや正しさの影には、劣悪さや間違いが潜む。人はそれに基づいて一喜一憂し、時には人を傷つける。 だから、個人レベルにおいて、優良さや正しさの根拠は、あくまで自分の意志になければならない。でなければ、絶対的で無責任な正しさによって人を傷つける。そんないじめや暴力はたくさんなんだ
2012-06-02 05:54:34顔が良ければ良い、性格はこんなのが良い、探せばそういう正しさはいくらでも出てくる。そのときに、無批判にそれを受け入れてはいないか。当たり前のことだと思ってはいないか。無責任に、みんながそうであるべきだと信じてはいないか。それが自分の首すら締めていることに、気づかないのか
2012-06-02 05:58:13これを避けるためには、ある程度自分を中心にして考えることは避けられないと、自分はそう考えている。やるならば確固とした意志を持ち、自分の意志で意見を伝えたい。社会やルール、常識に責任を転嫁してはいけない。個人としてやるんだ。それならば、ある種の優しさや思いやりが介在出来る
2012-06-02 06:02:25自分が感じてきた疎外感や受けてきた罵倒は、今まで言ってきたようなところに根っこがあると思うし、これは個人レベルの心がけでかなり防げると思うんだよなあ。かなり効率的な解決策だと自分では思うんだけど、誰も進んで自己中なんかにはなりたがらないよなあw
2012-06-02 06:12:03もちろん完璧にやれる人間なんていないよ。私もほら吹きだから、きっと言ったことの半分も出来ていない。それでも、伝わりさえすればいくらか気が楽になる人がいるに違いないとは思う
2012-06-02 06:16:17一応勘違い防止のためだけど、別に色んな意味での現実のシビアさを否定するものではないというか、むしろ痛いほど感じているので、その中でどうするかってのを問題にしている。私は甘ちゃんだから希望を持ちたい派。何もしないってのもあれだし、まあ死ねばいいけどせっかく生まれてきたんだしw
2012-06-02 06:44:41