【シューニャリアーナ】映像文化創作のあべこべ。いつも通り。
- L_O_Nihilum
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創作界隈(僕はCGMとか動画共有サイトコミュニティとかの大きい枠をこう呼ぶ)においての、創作した作品、は動画とイコールではなさそうだ。 動画とは創作であるし、それは発表されるが、作品ではない。というか、動画=額縁であって、作品じゃない。
2012-06-03 13:45:49単純かもしれん ただちょい説明しづらい まずその創作者が「こういうものです」と額縁内にそれを展開・完結してるから。作品はそれで自己完結している、と。
2012-06-03 13:52:04というのも、なんというか、この場合の自己完結は作品を完成させる…というより、創作者側が、「ここまで」と意図して動画に切り出してそういうもの、として提出してるから。
2012-06-03 13:53:28たとえば「ループ」する動画とか、クリックの結果によって映像が変化してくとかあるけれど、それも額縁(動画)のなかってことだし。「開かれた作品」っていう考え方、美学とかであるけど、その開かれ自体が範囲を策定しているよな。
2012-06-03 13:55:07んでもって、そういうものとして、「一個」のコンテンツ(というか、創作され提出されたもの)を享受者がそういうものとして受け取るから、そういう意味で、(正式に美術展とかに出展したわけでもないし落書きに近いけれども)「作品」と呼んでる、っていうファジーさ
2012-06-03 13:56:19ていうか、壁に落書きしたときを考えればわかりやすい コンクリ壁にジェットセットラジオ気味にスプレーで落書きした、これはどこからどこまでが額縁か解らんが、そしてホントただの落書き、だけど、一人のスプレーさんがそう書いといたもの、ってことで、とりあえず「いっこ」と数えている。
2012-06-03 13:57:38TRPGとかを数えるときもそうだ・・・とかいえねぇな。アレはタイトルの数で数えている(まぁ数的なのはいいけど)…少なくともタイトルを数えてる点が動画と違うな。なぜって、企業が出したもの、ってのはタイトルがそのままほぼ「額縁」だから
2012-06-03 13:59:10これはゲームとかについては全般的に言えるかも たとえばモバにしても「モバマス」とか「ケルベロス」とか「ドリランド」とかあるが、どれも完成した物ではない しかし、タイトルがそれを「(タイトルしたもの)以外のどれでもない」という区分として、数的に区別される
2012-06-03 14:00:46オリジナルにイチから創作してない分作品とは言えないよ、っていう言明を退けることはできないし、それは正しい。そういう意味で二次創作は作品たりえないが、依然創作者が創作し、発表したモノ、と言う点は保たれている
2012-06-03 14:02:51寧ろ、僕らが其れ目線で(本当の意味?での作品、とは違う意味で)作品、という語を使っていそうな気がする。よりベン図が大きい意味で「作品」と言う語を使ってると見える。策定された数的な個の区分
2012-06-03 14:03:59というか、畢竟「創作者が規定し、提出したもの」≒作品っていう認識な気がした。 これについては、特に子供の落書きをも含め。子供の落書きには額縁がないが、彼が書き終わった地点でそれを数え、「作品」と名指す。
2012-06-03 14:05:16策定された枠組み、であればいいので、その枠組みが多重化することを阻害しない。例えば、「けいおん」の作品自体を1作品ととらえてもいいし、その内部にさらに小さい策定が入ってるとすれば、「1キャラクター」の図像も作品である
2012-06-03 14:06:15ドゥルーズとかライプ兄さんじゃないが、そういう細かいところを「策定」すればそこが作品。策定してそこを採りだし作品として扱い、創作に描いて提出(策定の現実化)。特定の策定対象からそれを元にこれを副次的に行うことを「N次創作」と言う…?
2012-06-03 14:08:12たとえば細かい策定…ツイッターのアイコン。アイコンという「1作品」。てか作品から一部の切り出しでしかないが、切り出した(=策定した)から、そういうもの、程度の意味で、「作品」。
2012-06-03 14:09:36…藝術、っていう語が二つの意味合いを持つこと…価値的判断・記述的判断…でいうのであれば、基本これは「記述的判断」にあたるだろうな。記述的判断として、「これは一個の提出された動画だ/MP3だ/落書きだ…等々」なわけで
2012-06-03 14:11:34策定とは:「柵」定、と言いたかった。その範囲を柵で囲うから。それがむずいので「錯」定するわけだけどw。削定?うーん。自己を消し去る痕跡としての作品?
2012-06-03 14:13:15つまり、いわば批評家とか社会学者風に言えば、策定物=N次創作の中心となりうる1・ノード(たぶん違う)
2012-06-03 14:13:57思えばデリダの思想から考えれば「来たるべき、デリダ」てこれタイトルおかしいような気がする。だって差延でしょ?てことは、「別にデリダじゃなくても」時期がこればだれかやってたんですよ。「来てしまった」デリダ、のほうがいい気がするw。
2012-06-03 16:44:28