戦前の日本で行われていた徴兵逃れの方法

タイトルどうりです
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@bukrd405

@uno_animo @ynabe39 戦前の日本だと、養子や別家を立てることによる徴兵忌避が行われていましたな。高村光雲は剣突鉄砲を肩にしたらこれまでの修業がだめになるとして中島幸吉から高村家へ養子に行った。

2012-06-04 20:32:03
@bukrd405

戦前の日本で行われていた徴兵忌避の方法。(1)分家・他家に入籍あるいは絶家廃家を興して戸主となること (2)養子となること (3)嗣子となること (4)兄弟を他家にやって独子独孫となること (5)病気や事故の父兄を作為すること 

2012-06-05 19:30:15
@bukrd405

(6)北海道および琉球に転籍すること(北海道は明治15年2月8日まで開拓使管轄下、琉球は明治12年4月4日に沖縄県となるが、徴兵令は明治29年1月1日に一部が施行されたのみ) (7)戸籍の杜撰なことに乗ずること (8)代人料のの上納 (9)原籍地よりの失踪という非合法手段をとる

2012-06-05 19:33:15
@bukrd405

明治16年12月の徴兵令大改定は、軍備拡大をめざす常備兵増加と徴兵忌避の防止を主眼としたものだけに、民衆の不安を増幅させた。明治17年の各地の戸長役場では戸主替えや養子縁組届、偽死亡届、結婚届などでにぎわい、東京府下では養子縁組の周旋屋が大繁盛したという。

2012-06-05 19:57:09
@bukrd405

また、徴兵逃れの神仏祈願は、遠州奥山の半僧坊をはじめ山梨県都留の鳴沢魔王神社、忍野の天狗、小立の浅間神社や法華寺などが参詣人を集め、にぎわいをみせていた。

2012-06-05 20:14:02
@bukrd405

静岡県下では、明治17年の失踪人は415人に達したのをはじめ、愛知県で17年(48名)、18年(83名)、19年(92名)、20年(137名)と増加の一途をたどるなど、全国的な規模でこの非合法の抵抗がみられた。

2012-06-05 20:14:42
@bukrd405

明治22年の改定徴兵令。 (1)兵役義務は「日本帝国臣民」にして満17歳より満40歳までの男子全員。 (2)兵役は常備兵役・後備兵役・国民兵役とした。常備兵役は現役と予備役に分けた。 (3)兵役年限は、現役3年(海軍は4年)、予備役4年(海軍は3年)、後備役5年の計12年とした。

2012-06-05 20:30:49
@bukrd405

(4)兵種の決定は身材・芸能・職業にもとづくこととし、海軍現役兵は所要の人員を沿海地方・島嶼の壮丁を調査して海軍に適する職業にしたがうとした。 

2012-06-05 20:37:33
@bukrd405

(5)免役は、「廃疾又は不具等ニシテ徴兵検査規則に照シ兵役に堪ザル者ニ限ル」(第17条)とされ、徴集猶予の特典が与えられていた戸主の年齢60歳以上の者の嗣子、承祖の孫、廃疾戸主の嗣子および戸主などの特典を廃棄した。

2012-06-05 20:41:05
@bukrd405

ただし、「徴集ニ応スルトキハ其家族自活シ能ハサルノ確証アル者ハ本人の願ニ由リ徴集ヲ延期ス」(第20条)との規定をもうけ家制度への配慮がなされていた。

2012-06-05 20:41:22
@bukrd405

(6)大学生、陸海軍生徒のみならず、中等学校以上の在学者徴集猶予を認め、その最大限を26歳までとした。 (7)学術修業のための外国留学者の徴集猶予を26歳までと限定した。 (8)官立府県立師範学校卒業者(小学校教員)の6カ月短期現役制を認めた。

2012-06-05 20:52:57
@bukrd405

(9)中等学校以上の卒業者に対する1年志願兵制を確立して、予後備役幹部養成の制度たらしめようとした。 (10)徴兵忌避者は、1月以上1年以下の重禁錮と3円以上30円以下の罰金に加え、懲罰の手段として優先徴集の規定を設けた。

2012-06-05 20:57:20
@bukrd405

@jonathanohn ありがとうございます。ソースは前回と同じ、『近代民衆の記録 8 兵士』です。http://t.co/dtqt3A6M

2012-06-07 05:50:43
リンク t.co Amazon.co.jp: 近代民衆の記録〈8〉兵士 (1978年): 本 Amazon.co.jp: 近代民衆の記録〈8〉兵士 (1978年): 本