土屋誠一「土門拳について考えたこと」

沖縄県立博物館・美術館 企画展「土門拳の昭和と沖縄」ギャラリートーク 日時:2012年6月9日(土)  15:00から 場所:企画ギャラリー 講師:土屋誠一氏(沖縄県立芸術大学) 続きを読む
3
土屋誠一 @seiichitsuchiya

昨日の土門拳展トークのために、改めて土門について考えたこと。土門の変遷は、戦中の報道写真→戦後のリアリズム写真運動→古寺巡礼などの日本回帰、と理解してしまいそうだが、そんなに単純ではない。もうちょっと入り組んでいる。(続く)

2012-06-10 21:43:46
土屋誠一 @seiichitsuchiya

報道写真と仏像などの写真は、一見すると対極的に見えるけれども、そこにノイエ・ザッハリヒカイトの影響を考慮すると、案外すんなり繋がる。むしろ繋がりがたいのは、リアリズム写真運動のほうだ。(続く)

2012-06-10 21:47:34
土屋誠一 @seiichitsuchiya

リアリズム写真運動が開始したのは1950年の『カメラ』誌上。退潮を迎えるのは50年代後半。運動として衰退していくのは、六全協やスターリン批判などを経て、「社会主義リアリズム」が限界を迎える時期とちょうど一致する。(続く)

2012-06-10 21:49:59
土屋誠一 @seiichitsuchiya

リアリズム写真は「運動」としては退潮するが、実践として『ヒロシマ』と『筑豊のこどもたち』に結実する。まあこれは自明だし、実際豊かな成果であったと思うし、これらにはまだ見直される潜在的な可能性が眠っていると思う。(続く)

2012-06-10 21:51:54
土屋誠一 @seiichitsuchiya

一方で、戦後に「社会主義リアリズム」(と言い切って差し支えないだろう)を推進した土門は、戦中から戦後、さらに晩年にかけて「日本的なもの」に対する関心を絶えず持続させていた。このことは、戦前における「文楽」の撮影や室生寺との出会いが証明している。

2012-06-10 21:54:34
土屋誠一 @seiichitsuchiya

さらに他方、1959年に「古寺巡礼」をスタートさせた土門が、リアリズムを放棄したかと言えば、そんなことはない。1968年には広島を再訪している。恐らくドキュメンタリー的主題を手放さざるを得なかったのは、単に度重なる脳出血で体の制限があったためだろう。(続く)

2012-06-10 21:57:41
土屋誠一 @seiichitsuchiya

土門は思うに、体さえ自由であったら、「古寺巡礼」と「リアリズム写真」を並行して実践していたはずだ。しかし、この両者は明らかに合い入れない。そこをどう考えるか。(続く)

2012-06-10 22:01:20
土屋誠一 @seiichitsuchiya

土門のこの両義性には、近代批判と日本回帰という意味においては、さほど矛盾しないという自覚があったように思う。ゆえに、木村伊兵衛のようなモダニストとは合い入れなかったのだろう。そこに、カメラという近代的メディアを携えた土門のヤバさがあるように思う。

2012-06-10 22:08:45
土屋誠一 @seiichitsuchiya

土門拳についての連ツイに、特にオチはないのだが、改めて見直してみると面白い。一方、写真史というジャンルでは、全然作家研究がなされていないというのも、改めて確認した。土門についての本で、しぶとく書かれている本は、岡井耀毅『土門拳の格闘』ぐらい。でもこれも「研究」ではない。

2012-06-10 22:12:35
土屋誠一 @seiichitsuchiya

アカデミズムでの写真史研究は、ここ数十年で発達したのだろう。一方、地味な作家研究は全然ない。土門を例に挙げてもそうだが、多分、日本の写真家で、文献が整備された作家なんて存在しないのでは。そう考えると、やっぱ基礎研究は重要だよね、という極めて凡庸な結論に至るのだが、さて。

2012-06-10 22:16:14

土門拳記念館/土門拳について
http://www.domonken-kinenkan.jp/domon.html