第60回関東社会学会:アーレント報告(報告者:河合恭平)に関するツイッター上でのやり取り
- Kyohei_Kawai
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@Kyohei_Kawai えーと、少し雑駁な感想をば。4節の部分には共感いたしました。他方で、分からなかった点をいくつか。(1)④の前提と⑤の問いに対し、⑧⑨⑩で解答が用意されていますが、(続き)
2012-06-12 00:42:11@Kyohei_Kawai (承前)これらは「活動」全般にあてはまる特質であり、「いかにして極限的な暴力があらわれるのか」という問いに対しての解答としては弱い気がいたしました。(続き)
2012-06-12 00:43:45@Kyohei_Kawai (承前)また、「現れてはいけないもの」が複数挙げられていますが、「現れる」際の論理はそれぞれにおいて異なるのかな(?)という気がしました。そのあたりの差異がもしあるのだとしたら、それが見えにくい印象があります (続き)
2012-06-12 00:45:21@Kyohei_Kawai (承前)もしかしたら、「学説っぽくない」=中途半端というのはそれを指してるのかなとも思いました。しかしながら、②⑬の指摘は重要で面白かったです。
2012-06-12 00:46:49@Kyohei_Kawai (承前)最後に、もう一つ分からなかった点。⑫の「活動の徹底化」とはいかなる事態を指すのでしょうか、そしてそれはいかなる論理によって生じるのでしょうか?
2012-06-12 00:49:07@Kyohei_Kawai (承前)なお「活動の徹底化」と<「活動の徹底化」の結果=革命など>は私は分けて理解しました。
2012-06-12 00:51:07@Yuu_kiyo ありがとうございました。まず、簡単なところからお答えすると、「活動の徹底化」は、「活動」に含まれる暴力性を顧みずに「活動」を追求するような状況のことです。もちろん、アーレントの「革命」とは違います(これについては、今回、扱っていません)。
2012-06-12 00:57:12@Yuu_kiyo 、「いかにして極限的な暴力があらわれるのか」という点については、⑯の⇒の部分で回答しています。しかし、ここはかなり複雑で分かりづらいかもしれません。これについて何かあれば、追加でお願いします。
2012-06-12 01:01:26@Yuu_kiyo また、確実に極限的な暴力に至るわけではなく、その可能性を論理的に秘めているという感じです。
2012-06-12 01:03:07@Yuu_kiyo 列挙した「現われてはいけないもの」の差異についても、やはり⑯で説明する通りで、暴力に至る共通の論理を持っています。ただ、それぞれ対象は異なるので、暴力に至る過程は当然異なりますし、今回はその詳しい説明は時間の関係で省きました。これについても何かあれば追加で。
2012-06-12 01:08:08@Yuu_kiyo 以上、とりあえず、質問には答えたのではないかと思います。しかし、⑯は分かりづらいかもしれませんね。アーレントの議論をものすごい勢いで圧縮していますので。そういうことで、「了」。
2012-06-12 01:12:04@Kyohei_Kawai あ、ここです。つまり、確実に現れるのでないとすると、それは何によるのでしょうか?①偶発的なものでしょうか、それとも②何らかの規制が働いているからでしょうか。②だとすると、人間のコントロール不可能という指摘との位相の違いが気になります。
2012-06-12 01:10:50@Yuu_kiyo コントロール不可能というのは、それぞれの「現われてはいけないもの」のことです。例えば、「人種は自然的なもので変えられない」「人間は食べなければ生きることはできない必然性」という感じです。極限的暴力が確実でないのはご指摘の①が本質的で、②も多少関連しています(続
2012-06-12 01:19:08@Yuu_kiyo つまり、コントロール不可能なものが、無制限性・予言不可能性(つまり偶発性)のもとに置かれるというわけです。コントロール不可能なのは「暴力に至ること」そのものではないということです。(続)
2012-06-12 01:22:10@Yuu_kiyo そして、そうした暴力の予言不可能性(偶発性)というのは、②何らかの規制によって多少なり抑えることもできるます。それは例えば、法であったり、原発でいえばセキュリティ管理になってくるわけです。だが、それも予言不可能性の下に置かれているから確実ではない。(続
2012-06-12 01:25:24@Yuu_kiyo 原発事故はそういう論理で説明可能かと(細かい政治力学等とかずさんな管理の問題などは別として)。なかなか重要なご指摘ありがとうございます。一連のツイート、トゥギャッてもいいかもしれませんね。(了)
2012-06-12 01:28:12@Kyohei_Kawai 結構すっきりしました(あと少しだけモヤモヤがありますが、単に私がアレントに疎いだけが原因だと思います)。ありがとうございます!!何かほかの方に参考になるのであれば(汗)⇒トゥギャル
2012-06-12 01:31:13@Kyohei_Kawai あ、ちなみに技術の自治論との関係で考えてみてもいいのかもなと一人得心しました。
2012-06-12 01:32:28@Yuu_kiyo いやいや、まさに核心の部分のご指摘でしたよ。とりあえず、今回は、「現われ」と「活動」は無害のものではないのと、その受容状況は問題があること(アレントの論からそれをある程度説明できる)ということが理解されれば良いかなという感じでした。
2012-06-12 01:37:43とすると、「〇〇は安全」というのは、それを徹底化しちゃうとアレント的には「『現れて』はいけないもの」になるのかしら?ま、言葉遊びになってる気がするが。
2012-06-12 01:36:20あと、僕の報告で重要なところは、「『現われ』てはいけないもの」から、「『現われ』るのやめましょう」ということを言いたいのではない点でしょうか。「『現われ』てはいけないもの」が「現われ」ざるをえないがゆえ、それでも/だからこそ、その危険性を見なくてはならないはず、と。
2012-06-12 01:43:18でも、アーレントの「現われ」を引用するとき、「公共性が形成されるから『現われ』超重要」っていう感じで、その結果の危険性についてほとんど言及されない。それは問題だし、アーレントの公共性論の重要な点は、「現われ」「活動」の暴力性に対してどうするかという点にこそある、というのが僕の主張
2012-06-12 01:47:27