橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判31
- crape_myrtle_
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ただ、前にも言ったけど、橋爪大澤はおいといて多くの神学者が「仏教は無神論」と言ってるのはとても気になる。ていうかバカバカしい。神と言わないから無神論なんてなんにも分析になってない。むしろ、仏教でいう「法」(ダンマ/ダルマ)とキリスト教の神との類似点を見るべきだろうと思います。
2012-06-12 13:54:13- ふしキリ批判
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イエスを解離性同一性障害扱い、
「デナーリ」、
アラム語説が最近否定されてヘブライ語説に?
ところで「ふしぎなキリスト教」p.221で通貨の単位を「デナーリ」って書いてるのどう? δηναριονのαは長母音らしいけど、それならηも長母音なんだから「デーナーリ」って書けばいいのに。普通はーを抜かしてデナリとかデナリオン。私は現代式に読むのでズィナリ(オン)。
2012-06-12 14:59:33ふしぎなキリスト教p.234-235。「イエスと十二人の弟子たちはヘブライ語(ないしは、昔の説だと、ヘブライ語の方言であるアラム語)を話していた」って何? これだとアラム語説が最近否定されてヘブライ語説になってるように読めるけどそんなの初耳よ。
2012-06-12 15:26:10@marikobabel それ、私も気になって居ました。後回しになってしまっていましたが、出典見付けだしてきてウィキに加筆する予定です。
2012-06-12 16:15:55これが有名ですね。私は未読ですが 『イエスはヘブライ語を話したか』 ダヴィッド ビヴィン (著), ロイ ブリザード (著), 河合 一充 (翻訳) http://t.co/Ue7YmIAe
2012-06-12 16:20:04あ、これ持ってた…新古書店で入手して、密林に登録してから読もうとしたら即売れて読めなかったけど… RT @DogRuskin: これが有名ですね。私は未読ですが 『イエスはヘブライ語を話したか』 (略 http://t.co/O25TMxrE
2012-06-12 16:21:52『ケセン語訳新約聖書』 山浦 玄嗣 (著) のマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネのぶっとい本には巻末に著者の解説があるのですが、山浦 玄嗣氏もヘブライ語説を取っていたようです。手元にないので確認できませんが …おそらく同書を根拠にしていたように思います。間違っていたら申し訳ありません
2012-06-12 16:22:59まあ、どの説を採ろうとも、その説を採った元の文献を参考文献リストに入れていればいいんですけどね。このように疑問が出たときに、検証できないので
2012-06-12 16:32:39ふしぎなキリスト教 @ ウィキ - 間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」 #atwiki http://t.co/87FLSYvr 言語「イエスが話していたのは昔の説だとヘブライ語の方言であるアラム語」については、既に他の方によって加筆されていました。ありがとうございます。
2012-06-13 00:32:51 -----
マトリョーシカの件、
橋爪氏の聖書学的知識は近代で止まってること
マトリョーシカはうまいたとえではないにせよ、そんなに変とは思わなかったんだよな。ただ、開けていくと生の歴史のイエスにたどり着くというのが疑わしいだけで。歴史のイエスはあくまで信仰のイエスを媒介せずには存在しえない。
2012-06-12 12:24:07@kanedaitsuki 要するに「らっきょうの皮むき」みたいな話に過ぎないものを、マトリューシカと言えば多少気の利いた表現になると思っただけだったりして……。
2012-06-12 12:27:23玉ねぎでもよい RT @bible_go: @kanedaitsuki 要するに「らっきょうの皮むき」みたいな話に過ぎないものを、マトリューシカと言えば多少気の利いた表現になると思っただけだったりして……。
2012-06-12 12:30:15@kanedaitsuki 玉ねぎやらっきょうの皮をどれだけむいても、中から玉ねぎやらっきょう以外の何かが出てくるわけじゃない。信仰のイエスと史的イエスの関係もそれに似てるかもしれません。どこまでむいても同じこと。信仰のイエスをすべて取り去れば、あとには何も残らない……。
2012-06-12 12:35:41@amomoka いや、僕はよく知らないんですが「歴史のイエス」と「信仰のイエス」という二分法がポストブルトマン世代で批判されてますので実証的問題でもあるかと。
2012-06-12 12:33:42私も同感です。近代聖書批評学はそれをやろうとしていた。でも現代の聖書学ではそれはできないんだというのが主流だと思います。RT @kanedaitsuki マトリョーシカはうまいたとえではないにせよ、そんなに変とは思わなかったんだよな。ただ、開けていくと生の歴史のイエスにたどり…
2012-06-12 15:26:29 -----
「リベラル」の定義
「リベラル」という言葉、「間違いに寛容な者たち」という意味はないけれど、間違いに寛容であることは「リベラル」の特徴であることは事実よ。本質さえ間違っていなければ良いのよ。奇蹟が作り話だろうが間違いがあろうが、そこに込められた真理が伝われば良し。ふしキリも良し。
2012-06-12 11:00:53