specula第一回「芸術と<現在>」後の(主に)登壇者のツイートまとめ

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池田剛介|『Jodo Journal』vol.2 発売中! @kosukeikeda

いや、「末端→中枢」、a系列b系列、といった部分はすごく重要な問題提起だったと思うし、そのあたりを詰めたかったとおもうんです。

2010-06-28 01:51:12
池田剛介|『Jodo Journal』vol.2 発売中! @kosukeikeda

ただ、後半の僕の発表が説明不足で、どのようにつながっていたのか分からない、ということがあったのかもしれません。

2010-06-28 01:53:13
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

たとえば印象派 は 末端的感覚刺激の 単なる拡張と理解されていた(批判されていた)、そこから ポスト印象派 という問題群が作られた。 いいかえればポスト印象派は、 末端から 事後的に 、いかに絵画を組織するか、という問題だった

2010-06-28 01:53:39
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

だがポストという語は、浅田さんもいったように、b系列的な用語として理解されてしまった。(昨日はいわなかったけれど、補足すればロジャー・フライのポスト印象派という問題構制、自身、マクタガードの提起した問題構制とかなり重なるものがあった(ブルームズベリー)。

2010-06-28 01:59:26
池田剛介|『Jodo Journal』vol.2 発売中! @kosukeikeda

末端的感覚刺激といった問題がa,b系列に回収されない可能性、ということをもう少し詰めていければ、とは思ってたんですよね。

2010-06-28 02:05:47
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

補足すればa系列は同時性(同期性)の拡張として拡大できる。こうして組織されるのが社交的現在(そこにメディアがツールとして介在する)。この社交的現在を構成するメディアの支配力はかってほどではない、というのが僕の認識。では、議論の場はそれ以外のどこに確保されるのか?が昨日の問題。

2010-06-28 02:05:48
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

可能だと、最初に言い切ってしまったようなところがあり、後の議論が詰まったのだと、僕は反省していました(ごめんなさい)。まあ本音ですが。a系列がいかに組織されるかは問題にならない。

2010-06-28 02:07:18
池田剛介|『Jodo Journal』vol.2 発売中! @kosukeikeda

で、このあたりの問題設定は、千葉さんや僕が議論していることとも重なるはずなので、本当は丁寧に論じたかった気がします. RT @kenjirookazaki つまりc系列は可能か?

2010-06-28 02:08:36
池田剛介|『Jodo Journal』vol.2 発売中! @kosukeikeda

というか、ぼくがエンドレスエイトの例を出したのが、妙に世代的なバイアスがかかって見えてしまったのかもしれません。だとしたら申し訳なく思います。

2010-06-28 02:10:00
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

そして 池田くんがいま書いたように、末端(痛み)それ自身を中枢とする組織の仕方(いわば印象派、キュビズムの再度の展開)は考えられないか、というのがもうひとつの問題だった。それがトラウマの話題に逸れてしまったため、煮詰めることができなかった/と反省。

2010-06-28 02:10:32
池田剛介|『Jodo Journal』vol.2 発売中! @kosukeikeda

でも正直、そのあたりの突っ込んだ議論は、twitterでは難しいので、僕らなりに引き受けたいと思っています。

2010-06-28 02:14:41
池田剛介|『Jodo Journal』vol.2 発売中! @kosukeikeda

まとまらなかったのは僕らの責任ですし、重要な問題提起を頂いたものと感謝しています。

2010-06-28 02:16:25
藤原えりみ @erimi_erimi

それなら再チャレンジね。このまま放り出すのはNGですぜ。 QT @kosukeikeda でも正直、そのあたりの突っ込んだ議論は、twitterでは難しいので、僕らなりに引き受けたいと思っています。

2010-06-28 02:19:26
@kosukeikeda

ええ、ありがとうございます。 @erimi_erimi それなら再チャレンジね。このまま放り出すのはNGですぜ。 QT @kosukeikeda でも正直、そのあたりの突っ込んだ議論は、twitterでは難しいので、僕らなりに引き受けたいと思っています。

2010-06-28 02:23:21
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

c系列は単純に物質的(技術的)な因果系列です。それぞれの系列は完結しており、ゆえに反復再帰可能です。いいかえれば、そもそも非歴史的なものです。 その系列自体に誤解が生じる余地はありません。これを言語はじめ他のメディアに翻訳し、記述しようとするとき(当然)ズレが生じるだけです。

2010-06-28 02:55:57