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1956年6月 日本原子力研究所設立 高速増殖炉の研究開始。 手本とした、米国EBR-1で炉心溶融事故発生。 #etv #nhketv
2012-06-17 22:23:12「高速増殖炉はアメリカでできていた(EBER1)ので、その技術を導入すれば、簡単に日本でもできるとおもっていた」、しかし、EBR1で炉心溶融事故が、高速増殖炉は暴走しやすいという欠点があることがわかった #etv
2012-06-17 22:23:35高速増殖炉は減速材に軽水ではなく液化ナトリウムを使う。液化ナトリウムは、空気と触れると激しく燃焼する。 #genpatsu #etv
2012-06-17 22:25:09増殖炉はすぐ作れるんじゃないかと思ってた科技庁の官僚。その後、EBR-1炉心溶融事故。ナトリウムの物性的な扱い難さ。米国は増殖炉から撤退し軽水炉にシフト。ターンキー契約で日本に軽水炉を売り込む。 #NHK #Eテレ #ETV #経済産業省 #METI
2012-06-17 22:25:23そのため、配管を精密に設計しなくてはいけないことがわかった。そのままの技術導入する夢はうちくだかれた。アメリカは軽水炉に重点を移した。そして、日本にターンキー契約(全部作って運輸者キーまわすだけ)で日本にうりつけた。日本に軽水炉ブームがおこる。 #etv
2012-06-17 22:26:01しまむらたちは、この軽水炉の使用済み核燃料からでるプルトニムを使うプランを使うことに。東電「軽水炉だけで精いっぱい、使用済み燃料の使用はのりきでなかった」、いはらさん「はじめたこと官僚や会社もなく原子力の人だった、仲間割れしたくなかった」 #etv
2012-06-17 22:29:35島村原子力政策研究会、軽水炉には国はあまり金は出さない。軽水度は確立された技術で売り込みが来ている。次は再処理、予算は2000億。 #genpatsu #etv
2012-06-17 22:30:39#ETV 特集。1977年東海再処理施設運転開始。核燃料サイクルは、エネルギーの将来を担う国家プロジェクトとして加速。しかし、中国やインドが相次いでプルトニウムを利用した核実験に成功。米政府、核不拡散法を盾に、日本に核燃料サイクル計画の中止を求めてきた。
2012-06-17 22:31:35#ETV 特集。リチャード・ガーウィン博士「日本で原子力に携わっている人々は、核兵器を作ることなどないという、自分たちが創りだしたプロパガンダを信じこんでいたが、それは間違い。再処理したプルトニウムで核兵器を作ることは十分できる。だから米は、核兵器を作る目的を疑った」
2012-06-17 22:32:39#ETV 特集。島村研究会メンバー、横槍を入れてきた米に怒り爆発。島村らと異なる目的から、日本は核燃料サイクルを進めるべきと考えていた、外務省官僚たち。彼らによる極秘報告書。日本の安全保障の観点から、プルトニウムを用いた核燃料サイクルに注目。
2012-06-17 22:34:57#ETV 特集。「原子力発電のための技術開発は、核兵器の製造のための扉をひとつひとつ開いていくといってもよい」報告書を作った矢田部氏。自民党参院議員・源田実から「個人的に議員会館に呼び出されて『何やっとるんだ』と油をしぼられた。核兵器を持とうと言ったのではないが…」
2012-06-17 22:36:57#ETV 特集。「…核のオプションをなくしてはいけない、維持しておこうと」外務省、参事官が集まり極秘会合。「核兵器をもつ国が増えれば、核戦争が起こる可能性も高くなる。日本も何らかの形で被害を受ける可能性が」「プルトニウムはすぐ爆弾にはならないのか」「いや、なる」
2012-06-17 22:38:07#ETV 特集。「爆弾1個作るには半年〜1年半あればいいと言われている」「日本国民は原子爆弾には特別な感情を持っている。政府が作ろうとしても作れない状況」「平和利用を進めていくことには意義のないところだろう」「高速炉の技術ができれば、原爆を造る技術もそれと同じだ」
2012-06-17 22:39:11#ETV 特集。佐藤栄作総理のもとにも、核武装を検討していた、内閣調査室調査官たちが。志垣民郎氏をリーダーに極秘で進められたという。志垣氏の日記には、1968年3月から4人の研究者が集まって本格的な研究が始まったと。「垣花、永井、前田、蝋山の4人で『カナマロ会』と」
2012-06-17 22:42:44#ETV 特集。「オープンにすれば必ず問題が起こる。マスコミをはじめいろいろ聞いてくる。うるさいですねえ。それで秘密というか、内々でやっていた」官僚が極秘で進めていた核武装の検討。この動きを、米は初期の段階から把握。CIAを通じて各国の原子力政策の実態を調査していた。
2012-06-17 22:43:41#ETV 特集。1970年代以降、米に最も警戒されたのが日本。核武装できる能力をもっていると見ていた。科学技術や知識を既に持っているからと。更に、日本の指導者が核兵器の保有という判断を下す可能性が大いにあると分析。1980年代の初めにも決断を下すかもしれないと予測。
2012-06-17 22:44:40#ETV 特集。1977年INFCE会議。各国の専門家を集め、核燃料サイクルを進めることが核拡散につながりかねないと検証。元外務省・遠藤哲也氏「日本とドイツが最大懸念国だった。経済力も技術力もある。敗戦に対して世界の大国になりたいと、米は思っていたのではないか」
2012-06-17 22:46:02#ETV 特集。「もしそんなこと決められたら、核燃料サイクルはおじゃんになる」この頃の米、高速増殖炉には技術的課題が多く、コストがかかりすぎるとして撤退を表明していた。核燃料サイクルを支持する理由はなくなっていた。当時東大助教授・鈴木篤之氏、一層の危機感を募らせた。
2012-06-17 22:47:10#ETV 特集。鈴木氏「米は核兵器国。技術の分野が厳然としてあり、ベースがある。日本は、軍事部門は持たないほうがいいと思うが、やめた場合にはゼロベース」会議61回。日本、多くの科学者を送り込み、核燃料サイクルの必要性を繰り返し訴えた。2年後1980年1月、意外な方向へ。
2012-06-17 22:48:26#ETV 特集。「英も仏も核燃料サイクルを民間でやろうとしていた。志を同じくする国として一緒に戦えた。結局、核不拡散と平和利用とは並立しうると結論。INFCE、米の意図と違うことになった」日本、核燃料サイクルを継続できることになった。
2012-06-17 22:49:31#ETV 特集。元科技庁・伊原義徳氏「とにかくホッとした。平和利用の枠の中でちゃんとした仕事ができると実証しなければならない」高レベル放射性廃棄物の処理が問題。岐阜県瑞浪市の地下で研究。高レベル放射性廃棄物を地下処分する方法を研究している。深さ300mで研究。
2012-06-17 22:50:56#ETV 特集。使用済み核燃料からプルトニウムを抽出する際、不要な物質を取り出す。高レベル放射性廃棄物として処分するものもある。細かく砕いた後、ガラスに溶かして固める。最終処分場で放射能が安全なレベルになるまで保管。一旦出たら、何万年にわたって管理するものも。
2012-06-17 22:51:56#ETV 特集。この施設は、最終処分場を造る時に備え、技術を開発するのが目的。しかし、最終処分場を日本のどこに造るのか、まったく決まっていない。副所長「場所が決まると、もう少し踏み込んで評価するものも決まってくる」国内10カ所以上で建設検討、いずれも地元住民の反対。
2012-06-17 22:53:15#ETV 特集。高レベル放射性廃棄物処分が問題となり始めたのは、1990年代以降。島村研究会では、研究開発が進まない原因について「20年はかかると考える。問題点は、様々な社会的条件が強いこと」「やっぱり反対があると。どこへ持って行っても望みがない。反対の根っこは何か」
2012-06-17 22:55:02