マイマイさん(@Minority20)、衛宮切嗣を語る。~その正義、功利主義、絶望について~

フェイトゼロの最新話、初見では戦闘だけを楽しんだ感じで、その後の真面目な部分は「なんだか面倒臭そうな話だから、後でじっくり見返せばいいか」という事であまり真面目に聴いていなかった。その後改めて真面目に再見したので少し思った事でも。連投は超面倒臭いのでのんびりだが…
2012-06-18 23:19:03
何度も言明しているように、私はサブカル批評は苦手で、それに向いてもいないのでやる気は全くない。世に溢れているそれを読む事もしていないので見習う事も出来ない。勿論そのために世のサブカル批評で使用されている見慣れない語彙も全く使えない。
2012-06-18 23:22:10
普段私のアニメの見方は少しも小難しい要素を入れない見方だ。○○かっこいいなー。○○すごかったなー。そんなのだけで見る事にしている。けいおんの感想は「かわいいなー」「青春ですなー」「癒されるなー」であるし、日常の感想は「おもしろいなー」「あれが一番わらえたなー」「癒されるなー」だ。
2012-06-18 23:22:37
最近話題のフェイトゼロに関しても同様で、ランサー可哀想だなー、ライダーかっこいいなー、きりつぐ外道だなー、やっぱりきりつぐ可哀想だなー、ギルさん髪おろしたほうがかっこいいなー、ライダーあっさり負けちゃったなーとか、大抵はそういう未開の民(笑)であるかのような見方しかしていない。
2012-06-18 23:23:19
この手のアニメの魅力は果たして哲学的に読み取れる何かの質、意義、深さなのだろうか。 そんなものを求めるのなら、アニメ百本の前に哲学書を百冊読んだ方がずっと目的に適う。 私にとってアニメ視聴の目的はあまり哲学的だったり政治的だったりするものではない。
2012-06-18 23:23:44
フェイトゼロには確かにそういう要素はゼロではない。実際、知人で私に考察を期待した人は数人いる。最新話がサンデル展開(笑)だったようにフェイトゼロには「正義」という問題は明らかに見られるからだ。むしろ主題的にも見える。
2012-06-18 23:24:48
ドンキホーテやロイビーンやの影響で中学生の頃から正義の味方を夢見て正義の事ばかり考えてきた私にはピッタリだろうというわけだ。だから重い腰を上げて適役ではありえないものの、「少しは」真面目な見方をしてみようか、という気にも何とかなっている。
2012-06-18 23:25:22
だいぶ前、知人に切嗣はとても深い存在ですよと言われた時、「現時点では単なる(最も単純に理解された意味での)功利主義者にしか見えないが、まだ序盤なので後々の展開が楽しみです」と答えておいた。(これには今は下らない奴にしか見えないという含意がある)
2012-06-18 23:39:31
実際私は原作も全く知らないし、私に彼が単なる功利主義者に見えるのは今だけで私の理解が浅いからだろうと考えていた。彼の過去篇は確かに彼を「それまでより」ずっと深く見せるものではあり、実際「それまでに比較すれば」彼を好意的に見れるようになった。その行き着く先も気になるようになった。
2012-06-18 23:39:59
だが最終回直前になっても扱われる正義の問題とは「300人と200人どっちをとる?」「助けた300人がさらに200人と100人に。どっちをとる?」と延々と子供でも思いつくような、最も単純化された複雑性の欠片もない量的倫理問題ばかりだ。
2012-06-18 23:41:15
副島氏なら「宮台君や宮崎哲弥や切嗣っていうのが…二人の人間と一人のお爺ちゃん助ける時、どっちを助けますかとか延々言ってて…助けられる方を助ければいいじゃないか!そんな事いちいち…」で済ませるだろう。
2012-06-18 23:41:53
こんな問題はそれこそ小学生でも考え付き悩むかもしれないが、フェイトゼロという作品は最終回直前まで延々この問題に付き合っており、しかも大して進歩がない。物語としての価値としては別として、哲学的価値は簡単な倫理学史の功利主義の頁を3~10頁読んで暫く悩んでみるのと等価程度だと思う。
2012-06-18 23:42:20
無論、複雑ではない単純な問題に我々が現実に出くわさないという事ではない。しかし単純な問題は単純な問題である。単純な問題も問題として確かに存在するが、いつまでもそれに進歩なく付き合っている事には退屈と非生産性が伴う。
2012-06-18 23:43:00
先に持ち出した副島氏は痛快ではあるが別にあの問題に悩む人達より正しいとは全然限らない。むしろ見方によっては副島氏の方が倫理的感性を欠いており、善くないだろう。ただ副島氏は
2012-06-18 23:43:59
そんな「答えの出ない事が分かっている、分かりやすいジレンマにいつまでも拘泥して何か言った気になっている」よりも、そのジレンマを踏まえた上で可能な、ずっと意味のある正義の為し方、不正に対する対処の仕方があるはずだ。という苛立ちがあったのではないか?私は副島氏をそう過大評価している。
2012-06-18 23:44:34
切嗣は確かに人間としてはなかなか格好良い。それはイスカンダルやギルガメッシュが道徳的哲学的には大した正当性も魅力もないにも関わらず何故か妙な感染的魅力を不合理に持っている事、あるいは美的に魅力的である事と同じだろう。
2012-06-18 23:52:15
キャスター組なんて道徳的には最悪の最悪の最悪だが、にも関わらず妙な人気があるし、私も結構好きである。しかし実在すれば、擁護するだけで叩かれブログやツイッターが炎上するくらいに最低の人達だろう。それでもアニメの登場人物としては「殺人鬼」が男女問わず一定の人気を得ている。
2012-06-18 23:52:33
だがそんな切嗣が単純なサンデル的問答の果てに格好良く決断する事は「家族二人よりは人類に決まってる。それだけ。」「聖杯がもたらす物より奪う物の方が量的に多いから聖杯は悪。それだけ。」と終始一貫して「量的」判断だ。
2012-06-18 23:53:45
私はその是非は「今は」問題にしていない。(そのため彼がどうすべきだったかを語るつもりはない)哲学的にはそんなに面白くはない、と言っているのだ。ここに何か「深い考察」と呼べる程のものがあるだろうか?興味深い哲学的な進展が。
2012-06-18 23:54:15
あるいは全く原始的な素朴な型の功利主義を脱しようとする試みがあるだろうか。あるのは子供でも出来る足し算のみである。功利主義は本来もっと複雑な計算もやりうる(人数だけが基準とは全く限らない)ものだと私は理解しているが、少なくとも本作で見られる思考は極めて単純な足し算なのだ。
2012-06-18 23:54:46
その事の是非ではない。そのような足し算をする他ないという事はこの世にはあるかもしれない。ただ私が言っているのはその問題にやたらと拘泥して何か深い事を言った気になる、つまらなさ、単純素朴さ、興味深くなさである。
2012-06-18 23:56:03
切嗣の正義原理は最も単純な型の原始的功利主義であり、それを脱する所が少しもないために、哲学的に退屈だ。そんな事を延々語る事もまた私にとって退屈だ。だから日が変わってから、最後に少しだけ別の事を言おう。切嗣をもっとずっと興味深いものとして共感的に見る観点から。
2012-06-18 23:57:18