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@sugaki 僕は究極的には他人や人生や社会に対して悲観的且つ虚無主義なんだと思います。その中で唯一希望を見いだせるのがイデア的な真理でして。自分が存在しているという状態自体が孕む不完全性が不快でたまらないです。「あぁ、自分が生きているの嫌いだわ」と。難しいですね。
2012-06-16 01:55:43@imaginaryset あーなるほど。確かに「殺して」やってると、そういう気持ちにはなりますよね……。自分の場合は共通の趣味の話や他人のいろんな話を聞くのも好きだったので平気だったのかもですが、例えばそのなかに、様々なヒントがあると思ったら、また違うかもです ‡離脱中‡
2012-06-16 01:57:19@sugaki 成程。そういう思索だと僕の場合「全てクリエイティブ」又は「全てクリエイティブではない」って感じで一気にメタ的な認識に飛んでしまうので…プラグマティズムより本質を云々する方が性に合ってるようです。
2012-06-16 02:00:10@imaginaryset なるほど(笑) まあ、何をクリエイティブと言うかってのもありますが、発想としては「ひとかたまりとしてのクリエイティブな職種」な気がするんですよ(今もそうだと思います)(続 ‡離脱中‡
2012-06-16 02:03:50@sugaki いやぁなんというか、認識の土台自体に関心が行ってて、先ず其処の問題を理解しないことには具体的なアプローチ取れないよなぁって感じです。小前提だけで論理展開しても大前提に不備があれば真理には到達できませんし。
2012-06-16 02:04:10@imaginaryset でも「対象に何かを伝えるために作戦を練り表現する」とか、「よりよい作業のために試行錯誤を繰り返す」ってのもクリエイティブだな、と思ったら、クリエイティビティを発揮できない職場は(するなと言われる場合を除き)存在しないのではないか、と(笑 ‡離脱中‡
2012-06-16 02:04:59@imaginaryset 私の個人的考えですが、現実の行動や思考を通じて土台の解釈や理解に繋がる発想を得る事も少なくないのではないかなぁと思うのです。実際、関係ない事をやってるときに思い付く物事も多いじゃないですか(笑) ‡離脱中‡
2012-06-16 02:07:37@imaginaryset なので「これが真理!」と決めつけることさえしなければ問題ないんだと思います。最短距離しか道はない、ということはないですから ‡離脱中‡
2012-06-16 02:08:12@sugaki 発見や楽しさもあったんですけど、自分の中で「其れって本当?此れってどうなってるんだろう」という思考パターンが染み付いてたので、其れについて追求せずに疑問だけ山積して、今一気に崩れた感じです。人といるときに疑問に拘ると孤立したり、他人の気分を害すことが多いですから
2012-06-16 02:09:53@imaginaryset あーなるほど。でも、それは再構築の時期なんだと思いますよ。そこは経なきゃ行けないと思いますし、そうしないと自分のものにならないでしょうし。ただ、それを受け止めてきた確固たる自分がいるのも事実ですから、そこだけは踏まえるのがよいかと思います ‡離脱中‡
2012-06-16 02:12:11@sugaki 居ないですね。もし其れが可能だとしたら不老不死且つ膨大な知識と高い知能を持ったSFや神話に出てくるような人間になります。物凄く簡単に言うと「不完全で変わりやすい世界に価値を置けない。なら自分が完全になりたい。なれないなら死にたい」みたいな厨二みたいな願望です笑
2012-06-16 02:14:08@imaginaryset なるほど(爆 私はそこは転換したのかな?そもそも固定されたものなんてない。だとしたら、それを受け止める以上の事はできない、という発想と、その、変遷を遂げてきた過去と、そこに連なる今を俯瞰するに、余りにも神々しくて惚れてしまったんですよね ‡離脱中‡
2012-06-16 02:18:35@sugaki 厳密に言うと全てのものに新規性と独自性は有ります。ただ自分が今持ってるorこれから行動によって獲得する独自性と新規性は自分が価値を認めるところに存在しているかというと、僕の場合、違うんですよね。
2012-06-16 02:18:56@sugaki 勿論其れはあります。ただ予め思索的な事を済ませないと発見できることも少ないですし、自分の中の説明体系を構築する上で要諦となる事象に出くわしても、其れと気付けないと思うんですよね。少ない知識で行動しても人と同じ行動で終始します。普通の意識高い系は没個性ですし。
2012-06-16 02:25:34@sugaki うーん。難しいですね。僕の場合、この問題意識を蔑ろにしたら簡単に行動(此処では自殺)に走ってしまいそうで。最短経路かどうかと言うよりは緊急のリカバリー的な動機が強いです。
2012-06-16 02:29:14@imaginaryset 私自身は思索に特化したスタンスではないので同じとは言い切れないのですが、それでも、思索的な事が済んでない状態で得る情報から発見できる事は多いと思いますよ。重要なのは、単純に受け入れる(結論を出す)のではなく本質を見ようとすることだと思います ‡離脱中‡
2012-06-16 02:29:56@imaginaryset 所謂「意識の高い()人」って、他人のすごい話を聞いて「なるほどそうだ!その通りだ!」と受け取って、そのまま他人に語っちゃう人であって、それは思索を済ませているかいないかではないと思います(笑) ‡離脱中‡
2012-06-16 02:31:27@sugaki 其処を踏まえると自分のアイディンディティが反応的な「環境の奴隷」であることなってしまうので、自殺もまた容認されてしまうんです。自殺を留保しつつ、自分の人物評価を決定する方向に哲学しないと…
2012-06-16 02:32:21@imaginaryset 問題意識を蔑ろにする行為ではないと思います。あくまで並行で(同じ事を見てないにせよ、片方だけではない、という意味で)やる、という事です。いずれにせよ片方だけを続ける事による停滞って結構なもので気分転換も含めた視点の変化は大切だと思うのです ‡離脱中‡
2012-06-16 02:35:22@sugaki 僕の場合、受け止めた結果ニヒリズムに陥って離人症(後になって本で読んであの症状が離人症だと気づいたので厳密には間違っているかも)にまでなったので、プラグマティックにいい塩梅でっていうのが性に合わないようです。
2012-06-16 02:36:34@imaginaryset ふむ、「自分のアイディンディティが反応的な「環境の奴隷」であることなってしまう」とはどういう意味合いでしょう ‡離脱中‡
2012-06-16 02:36:55@sugaki 全てがクリエイティブなら、全てに価値があるか、全てに価値がないの何方かになってしまうので、行動に移せなくなります。其処で自分の行動に価値があると見做す方便が価値観一般の性質だと思ってます。恣意的なものを盲信するのが好きになれないんです。
2012-06-16 02:40:59