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@imaginaryset 自分は、ニヒリズムに陥ってもなんの意味もないな、と思ったのですよね。それこそ、自分が好きなことをやる以外に存在する意味がないわけですから>ニヒリズム ‡離脱中‡
2012-06-16 02:41:34@sugaki 知りたいと思う分野によりますね。僕の知りたいのは究極的には虚学的なことなので、其れを知る手段として実学的な知見や方法論を活かせないかというスタンスです。其処はバランスですね。
2012-06-16 02:45:04@imaginaryset ふむ。全てに価値があると見る事に恣意性を感じるのですね。確かに人間の考える事ですから恣意性はあると思います。でも、全ての事象は基本的に影響しあって成立している以上、とある事象を構成するものは、そこに関わる全てですから、価値はあるんですよね ‡離脱中‡
2012-06-16 02:45:47@sugaki 意識の高い人は行動や社会的な評価に重点を置いているので、環境やマスメディアの影響を受けて反応しているだけに見えるんですよね。其のひと独自のものがなく、社会構造に埋め込まれていてメタ的に状況を理解していないというか。普遍を志向する僕の価値判断ではアウトなんです。
2012-06-16 02:50:10@sugaki 其れなら、勿論、ある程度はやってますよ。物理や数学や英語の勉強もしてますし、友達とカラオケに行ったり、勉強会に参加したり。哲学的な思索「だけ」ではないです。それとも別の意味で「行動」を使ってますか?
2012-06-16 02:53:18@sugaki 正に今僕が居るのがその状態です。自殺やニヒリズムに陥るには希望を捨て切れない。究極的には僕も好きな事しかしてないです。
2012-06-16 02:55:39@sugaki 宇宙の真理を記述したい。真理に到達したい。と言った社会的には評価されない対象を求めることです。完全に自己満足ですね。
2012-06-16 02:57:07@sugaki あと、今の僕は其の好きなこと自体何なのか解らなく為ってる状態も含めて、アイディンディティの危機なんですよね。自分の好きなことの本質があるとして、その周りをぐるぐる回ってるだけで本質其れ自体に到達できていない感じで。其れを解るために今哲学してます。
2012-06-16 11:32:42@imaginaryset 多分それです。ただ、そこにあまりに意味を見出していないような感じを受けたのですよね。社会生活を営む上でやらなきゃいけないからやってるけど、意味はない、的な ‡離脱中‡
2012-06-16 12:12:36@imaginaryset 理想の姿、というのは確かにきれいだし、わかりやすいとは思うのです。ただ、世界って本当にそうなのかな、と。生命誕生から今まで決まった道を間違いなく歩んできたわけではなく、むしろ泥縄で相互に影響し合いながらステップを上がってきたように思うのです ‡離脱中‡
2012-06-16 12:15:58@imaginaryset とすると、大前提として私の場合は「泥縄の試行錯誤」なんです。その億年にわたる積み重ねの結果が、いまこうしてキーボードを叩いてる自分だと思うと、この一見ぐちゃぐちゃな、でも秩序だった世界が愛おしくてたまらないんですよ(爆) ‡離脱中‡
2012-06-16 12:17:22@imaginaryset ちなみに、私は評価します(爆) ていうか、そういう話は好きです。個人的にはそれなりの答えは出てますが流>さっきの「泥縄」がそうですね ‡離脱中‡
2012-06-16 12:20:10@imaginaryset あーなるほど。そういうのってのは確かにあるかもです>好きな事自体が何なのか でも、多分好きだと思って関わり始めたことなら、周辺事項でも好きな事の片鱗が含まれているはずなんですよ。で、それは好きな事でいいはずです。そこが見つかるといいですね! ‡離脱中‡
2012-06-16 12:21:47@sugaki 返信遅れて申し訳ありません。そうですね。自分の価値観や計画に当てはめて時間やエネルギーを注ぐ強い必然性を感じない行為ですね。気晴らしになって本業に集中できるという効用はありますが、あくまで結果論なので。
2012-06-16 23:31:57@sugaki 勿論、持ちつ持たれつの面は有ります。此れは僕の個人的な経験なのですが、高校の時に一番仲の良かった友人が交通事故で亡くなった時に「人間関係や人の生命は砂浜に作った砂のお城のようだ」と思って、其処から絶対変わらないもの完全なものに対して憧憬を感じるように為ったんです
2012-06-16 23:35:41@sugaki 其の世界を愛おしく感じる部分が僕にとってイデア的な真理なんですよね。もうあんな思いはしたくないという消極的な動機があるのは否定出来ないです。
2012-06-16 23:38:28@sugaki そうですね。これから専門的に学問の道を歩くにあたって、どの部分に魅力を感じているかを明晰にしないと専攻する分野を何処にするか困りますからね。
2012-06-16 23:42:30@imaginaryset なるほど~。それは考え方に強い影響を受けますよね>ご友人の件 自分の場合は、変わっていく流れとどう付き合うか、という方向に行ったのだろうと思います。意のままにならない世界があって、そこに相互作用がある(続 ‡離脱中‡
2012-06-17 10:36:50@imaginaryset でも、意識して作用させると進む方向は多少なりとも制御出来る、という経験の積み重ねがあって、「何が変わらないのか」「自分が保持すべき事はなにか」「他者とどう向き合うか」という部分が意識として固まっていった気がします(続 ‡離脱中‡
2012-06-17 10:38:49@imaginaryset もちろん最初の切っ掛けから30年以上掛かっていたりするわけですが(笑) 結果として、変わらないものは(人間が発見出来ていないものも含めて)物理法則であり、自分の根底にあるスタンス、スタイル(これは変化する可能性はあります)なのだな、と(続 ‡離脱中‡
2012-06-17 10:45:24@imaginaryset もちろん私の場合は起点が「関係性」なので、同様に考える事はできないとは思いますが、こんな感じでした ‡離脱中‡
2012-06-17 10:45:36