哲学とか価値観とかアイデンティティとか

まとめました。
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@imaginaryset

@sugaki  成程。ところで、ずっと疑問だったのですが、何故「関係性」「コミュニケーション」に価値観の重点を置くようになられたのでしょうか?差支えがなければ。

2012-06-17 18:40:59
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 子供の頃なんですが、クラス変わっても転校しても中学に行ってもずっと身体的特徴に関するあだ名がつけられてたのですよ。まあ、陰湿なイジメではないわけですが、当然本人はそんなのイヤだし、何故そんなあだ名を付けるのか理解できなかったわけです(続 ‡離脱中‡

2012-06-17 18:49:57
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset まあ、明確にそこまで考えるようになったのは小五ぐらいでした。で、中学2年かな?ある日鏡を見ててふと思ったのが、「確かにこのツラじゃそんなあだ名がついてもおかしくないよな」だったわけです(小さい頃鼻炎が酷くてその名残で口呼吸だったのです)(続 ‡離脱中‡

2012-06-17 18:52:54
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset で、例えばからかう時って、反発すると余計に調子に乗るじゃないですか。特に子供は加減を知らないですから(笑) だから流すのは大事だ、というのは学んでいたわけです。その延長で「そうか。あだ名で呼ばれたらにこやかに返事しよう」と思ったのですね(続 ‡離脱中‡

2012-06-17 18:55:01
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 結構イマジネーション豊富な友人がいたので、新しいあだ名をほいほい付けてきたんですが、新しいあだ名で呼ばれた時ですら、その瞬間に返事してやろう、と。で、すごく楽になったのですよね。自分自身を認めたからヘンな意地を張る必要もなくなりましたし(続 ‡離脱中‡

2012-06-17 18:57:16
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset で、ここでひとつ気付いた重要な事は「どんなに自分がこう見て欲しいと思っても、相手は相手の視点で見るから、見て欲しいならそう見せるように仕向ける必要がある。なぜなら、仕向けないと、相手にそう見えないから」でした(笑)(続 ‡離脱中‡

2012-06-17 18:59:22
@imaginaryset

@sugaki  成程。僕が小中学生の頃は自分から自虐的なキャラやアダ名を名乗ったりするお調子者でした。お調子者を止めてからも変な絡み方をされることがあったので、その点では不服でしたが、自分の撒いた種だと思って割り切ってましたね。

2012-06-17 19:09:32
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset そういう過程を経て「人と人の間にある関係性」を強く見るようになったのです。結局、相手がいて世界は成立していて、その相手も様々である以上、基本はともかく具体的な言葉とか見せ方に正解はない&基本のありようを理解すれば意外となんとかなる(続 ‡離脱中‡

2012-06-17 19:13:02
@imaginaryset

@sugaki  そういったペルソナの使い分けみたいなのを常に行なっていたので、対人関係や人の気持ちと言われるものがかなり作為的で胡散臭いものに感じられて「真面目に」取り組もうという気が失われいていたのかもしれません。

2012-06-17 19:13:27
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset というのも、その後のままならない人生を関係性から眺めることで見出して行けた感じです(笑) まあ、こんなところでしょうか ‡離脱中‡

2012-06-17 19:13:46
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset お調子者ができたなんてうらやましす(爆) ‡離脱中‡

2012-06-17 19:14:12
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 作為的なのは当然なんです。「見せ方」なんですから。立場が違えば見せ方も変わる。同じ人でも場によって見え方は違って当然なんです。例えば「子供であり兄であり父であり夫であり部長であり元請けであり下請けであり、男である」これ全部同一人物の別の顔 ‡離脱中‡

2012-06-17 19:19:12
@imaginaryset

@sugaki  成程。すがきさんは「コントロールが難しいけど、自分次第でどうにでもなるから克服してやろう」としたのに対し、僕は「自分が努力しても周り次第でぶち壊されるからテキトーにしよう」と考えたようですね。その意味で僕は弱い人間です。

2012-06-17 19:20:09
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset そんな厳密でもないですよ。こうやれば必ずこうなる、なんてないんですから(笑) ただ、やらずにいやな結果になるぐらいなら、やった方がマシ、と思ってるし、やらないならやらないなりの結果を受け入れる覚悟(のフリ)はしている、ぐらいですね ‡離脱中‡

2012-06-17 19:22:59
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset ということで、。強い弱いなんて関係ないです ‡離脱中‡

2012-06-17 19:23:03
@imaginaryset

@sugaki  やらないなりの覚悟を全面に出してたので其処で反感を買い易かったですね。「お前なんか、気を使ってやる必要もない」「上から目線」と取られることが。自分の中では「興味ないことを一生懸命話されても辛いだろう」と思ってたので必ずしも軽視ではないのですが

2012-06-17 19:32:36
@imaginaryset

@sugaki  成程。強い弱いより楽観的悲観的の方が近いですね。

2012-06-17 19:33:32
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset ですね。で、多分ここは結構他の人と違うのかなと思うのですが、「悲観的」かつ「楽観主義」なんです自分 ‡離脱中‡

2012-06-17 19:36:32
@imaginaryset

@sugaki  どういったところが悲観的なのでしょうか?僕からすると非常にポジティブに感じられるのですが。

2012-06-17 19:39:37
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 悲観的な見方と、楽観的な姿勢って、別に相反しないんですよ(笑) ‡離脱中‡

2012-06-17 19:41:40
@imaginaryset

@sugaki  成程。悲観的な見方に楽観的な姿勢。すがきさんのお蔭で僕の中で求めていた概念をまた1つ発見できました。有難う御座います。これで僕の哲学が一歩前進します。

2012-06-17 20:13:05
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset おおう、それほどのものでしたか(爆) ちなみに、具体的にはどういうことだかわかります?>悲観的な見方に楽観的な姿勢 ‡離脱中‡

2012-06-17 23:57:29
@imaginaryset

@sugaki  悲観「相手は自分に対して無条件で好意を寄せない。相手を自分が与えた刺激に対して反応する関数のようなものだと見做す。性悪説の立場を取る。無条件の愛情を信じない」楽観「自分の行動次第でなんとかなる」という理解で合ってますか?

2012-06-18 00:21:56
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 実はもっと広範な考えで「出来るだけ幅広い範囲で可能性を考える。即ち(思い付く範囲で)最悪の事態も想定する」と、「さて、よりよい結果を導くにはどうすればいいかな?」ですね ‡離脱中‡

2012-06-18 00:23:47
@imaginaryset

@sugaki 成程。僕も最悪の事態を常に想定してるので、初対面の時は相手を刺激しないように観察に徹しざるを得ない事が多いですね。思考パターンや価値観が掴めるまでは一方的に話す事が出来ないです。想定しつつもアグレッシブにコミュニケーション取れるように成りたいと常々思ってます。

2012-06-18 00:31:34
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