長谷部恭男「憲法学から見た生命倫理」による学問の自由の論証

長谷部恭男「憲法学から見た生命倫理」樋口陽一ほか編『国家と自由-憲法学の可能性』(日本評論社,2004年)より
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anonymity @babel0101

長谷部恭男「憲法学から見た生命倫理」樋口陽一ほか編『国家と自由-憲法学の可能性』(日本評論社,2004年)を読了。かなり良い。

2012-06-25 22:18:57
anonymity @babel0101

一般的な受験生は,学問の自由が問題が出れば精神的自由の問題であって優越的保護が与えられるべきであり,それゆえに二重の基準論が適用されて厳格審査だ,と書いてしまいそうであり,それ以外の論理的な道筋なんてあるの? と思っている人も多かろう。

2012-06-25 22:21:23
anonymity @babel0101

しかし,この長谷部論文は,見事にその論証パターンがダメダメであることを示してくれる。

2012-06-25 22:23:29
anonymity @babel0101

学問の自由は本来的に高等研究機関の研究員に与えられた特権であるという特権説に立ちつつ保護範囲を限定するとともに,学問の自由の保障根拠を客観的真理の発見又は研究者の倫理と責任の増強という社会公共的利益に求める。

2012-06-25 22:24:16
anonymity @babel0101

その結果,学問の自由は,自律的な個人の価値とは切り離された,公共の利益に基づく権利と構成される。そうであるがゆえに,逆説的に,学問の自由は社会的利益による調整を受け得る存在となる。長谷部憲法学に通底する,おなじみの切り札としての人権/公共の利益に基づく人権の二分論だ。

2012-06-25 22:25:08
anonymity @babel0101

公共的利益に基づく権利であれば,公共的利益に基づく調整を受け得る,という論理を導入することによって,長谷部憲法学はリベラルな外観を有しつつも,憲法論に基づく合理的な規制を正当化する機能を営む。ここが良いか悪いかは評価は分かれるであろう。話がそれた。

2012-06-25 22:26:20
anonymity @babel0101

学問の自由は社会公共の利益に立脚するがゆえに,社会的利益に基づく規制に服する。ただし,研究者の倫理及び責任の増強という学問の自由の二番目の保障根拠に照らすと,法令ではなく,大学のガイドラインによって学問の自由は規律されるべきだ,ということになる。

2012-06-25 22:28:04
anonymity @babel0101

以上まとめると,①学問の自由の特権説に立って保護範囲を絞りつつ,②社会公共の利益に学問の自由の保障根拠を認めると同時に,③社会公共の利益から学問の自由の規制根拠を導いて,④法令ではなく,大学ガイドラインによる学問の規律を行う,ということだ。

2012-06-25 22:29:28
anonymity @babel0101

一般的な二重の基準論に基づく学問の自由の処理しか知らない学生は猛省するように。

2012-06-25 22:29:59