集合知とは何か Wikipediaは集合知か
@kawango <人間の知性はすべて集合知、まあ、それは正しい解釈なのかもしれないけど人間個人の知性との比較における集合知の文脈でつかうと自己言及になる>はいそのとおりです。すでに説明しましたよね?要素と全体が相互作用する「自己言及」的な自律的な複雑系ネットワークであると。
2010-01-17 19:55:16で、こうやって、集合知について、IT脳的矮小化をせずに、知という本質に立脚した思索をすると、ITWebサービスに特化したような、いきあたりばったりの定義でなく、もっと汎用的で本質的な枠組みにより、Webサービスに適用する事も可能なので、大局からいろいろ見えてくることがあります。
2010-01-18 02:51:51つまり、たとえば「集合知のパーツとしての人間の母数が大きくなればなるほど、集合知が優れるという幻想」 @kawango という言及について。このトピックの最初のほうででた、言及ですが、いろいろ誤りを指摘することが可能になる。
2010-01-18 02:56:05集合知は「自己言及」的であり、個人という要素と全体の集合知としてのスーパー知性は、相互作用します。複雑系と言うことを言わなくても、ある集合知の系からでてきたスーパー知性としてのアウトプットはそのパーツとしての個人へインプットされる、というスパイラルがある。
2010-01-18 03:00:27個人とは、しょせん、集合してスーパー知性を創出させるためのパーツ、インフラにすぎない、だから。。。と話を進めるのと、個人が集合してスーパー知性が創出され、それが個人に還元される、その営みそのものが集合知である、と捉えるのと、これは似て非なるもの。
2010-01-18 03:03:36つまり、Web「サービス」というのであれば、その「サービス」とはその集合知プロセスを循環させ成立させる「個人」のためにあると強く意識したほうがよい。すばらしい集合知性がでるように、いかに最適化するか、そのためには、その材料となる人数を減らすべき、という設計手法は根本的におかしい。
2010-01-18 03:10:53たとえば、Googleランクというエンジンにしても、これ自体がスーパー知性、はいそれでおしまい、ということではない。これは、個人それぞれからのアウトプットを整理し、また個人へ還元するという循環を実現するための途中1プロセスにすぎない。
2010-01-18 03:14:49Googleランクという装置自体が集合知なのではなくて、そういう装置によって実現される、スパイラル、そういう系そのものが集合知。Googleはなんで中国から撤退したんですか?それはこの系が破壊されるからだ。
2010-01-18 03:18:21Googleチャイナは、そのアウトプットが不正に制限され、個へ還元されるスパイラルが阻害されている、と認識している。系自体が成立しないのならば、そこに存在する意味はない、とそういう認識。
2010-01-18 03:20:33集合知というバズワードに埋没してしまい、何か人工知能、神に近いものができる、という考え方こそ幻想であり、結局のところ、それは「われわれ人間」の営みにすぎない。神が創出されるというのであれば、それは我々の営みの相互作用そのものなのであって我々が材料になって頭の上にできる物じゃない。
2010-01-18 03:28:03Google先生はなんでも知っている。けれど、その検索結果の1ページにでてくる情報も、我々の誰かが書いた情報であって、役に立つ。役に立ち価値ある枠組みには、人がどんどん参加して、そこに何か情報提供しはじめる。それが検索され、、、というスパイラル。
2010-01-18 03:34:57このように、自分が単なる集合知クックレシピの材料としてではなく、そのアウトプットが社会に還元される、自分に還元される、という認識が強まると、社会参加という自覚、意識がでてくる。
2010-01-18 03:38:54Wikipediaの成功要因は、結構既存の資本主義社会的な利己主義、神の見えざる手の考え方では説明がつかず、これは結構議論されてきたことだが、今書いたような集合知による社会参加、自己実現の要素が強くあるということが指摘されはじめている。
2010-01-18 03:40:44