「敗戦」に向き合う――「総懺悔」論と「だまされた」論

 1945年8月15日、いわゆる「玉音放送」をきっかけに、日本のひとびとは戦争の終結を知ることになります。それとともに、彼らは敗戦の責任に向き合うことになりました。主として「総懺悔」論と「だまされた」論という二つのかたちで問われたこの問題を日本のひとびとはどう考えたのでしょうか。吉見義明(1992)「占領期日本の民衆意識――戦争責任論をめぐって」(『思想』811、1月号所収)からの抜粋のまとめです。 関連まとめ 「敗戦」を理解する――赤澤史朗(1994)「戦後思想と文化」 http://togetter.com/li/328294
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dabitur @dabitur

「こうして、せっかく『責任の喪失』を問題とした議論が、責任の所在をぼかし戦争責任感を喪失させたまま、復興、『民主日本』の建設を志向することになる」(吉見義明(1992:80))

2012-07-06 01:56:25