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偶像崇拝の禁止ね。キャラクター文化嫌悪って、現代の偶像崇拝禁止令みたいなものかも。ミニマリズムはイエスに批判されたユダヤの祭式万能主義といったところかな・・
2010-07-03 00:09:58
そういえば黒瀬さんの昔のブログちゃんと読んだことなかったな、と思い読んでいます。http://d.hatena.ne.jp/kaichoo/?of=20 ・・・・・・2年ほどですが時の流れを感じさせます。
2010-07-04 01:37:58
いたる絵はあれだけ瞳が大きいのに、あまり視線が合う感じがしない。あえて言うなら視線が拡散している感じがあるというか。ところで視線が合わないキャラクターたちというのはゼロ年代後半の「萌え」では重要な要素でした。その最たるものは東方でしょう。
2010-07-04 01:50:30
keyにせよ竜騎士07にせよ東方にせよ、ゼロ年代の記念碑的作品群がキャラのデザインはむしろ素人的で王道からはことごとく外れていたというのは面白いことではないだろうか。
2010-07-04 01:54:46
「視線が合わない目」の状態の定義ですが、本当にこちらを見ているのか疑わしい、あるいはよく見れば見るほどそれが目に見えなくなってくるような状態をした「目」と、ひとまず定義しておこう。
2010-07-04 02:00:04
おそらく、ある場合においては、他者を見出す瞬間というのは、視線が追えなくなる(共有された前提としての意識の不完全性が露呈する)瞬間であり、そして他者と向き合う倫理的瞬間とは、「目」を見つけ出す瞬間だろう。人称的な存在の承認不承認が問題ではなく、むしろそれを可能とする条件の不安定性
2010-07-04 02:03:19
浅田彰さんが来て黒瀬さんの絵について「目は必要なのか」と言っていたが、さしあたりあの「目」が画面に意味や意識のレイヤーを作り出すのだと言えるし、それは一種の郵便的戦略でもある。「ミステリック・サイン」は解読する必要がある。無意識の機械ないしプログラムとしての絵画。
2010-07-04 02:06:46
どうやら僕今いるのは黒瀬さんが3年前に通過したところのようだ!時代に追いつけねえ・・・というかその前に学年に追いつかないと。
2010-07-04 02:24:34
目の話はひとまず置いておくと、次に問題になるのはおそらく髪や布といった不定形なものだろう。目のようにそれ自体形式として独立性があり、ある種のモジュールとして機能するパーツに対し、髪や布はそれ単体では形式化されておらず、構成全体とかかわってくる。にも拘らず幻想の依代にもなるという。
2010-07-04 02:31:02
「目が顔貌性を構成すること」から逃れることなんてできるのだろうか。顔貌性を構成しない目を哺乳類である人間は目と思うのだろうか。ぼくたちはただの車のライトにすら、目を見出し、車のフロントを顔的に思ってしまうというのに @kaichoo @masayachiba #eye #face
2010-07-04 02:51:45
黒瀬くんの個展に浅田さんが来たのかな。目のことが話題になったのか。僕としては、あの目の存在感は、まあまあだなあと思ったな。しかし色とりどりの描線だけでもちょっと弱かなと思うし、やっぱり目が必要なのかな。
2010-07-04 02:23:52
黒瀬くんにおける目の問題は、ドゥルーズ+ガタリ用語を使うなら、「顔貌性」を構成しないように目を逃走させることがポイントなのかもしれない。が、あの目はどうにもやはり人間的な間主観性を発動させてしまうところがあって、人間圏の乱調を愉しみたい僕としてはいまいちなんだよなあ。
2010-07-04 02:29:06
キャラ性をなんらかの形で扱いたいなら目は欠かせないのでしょう。僕は、目と分かる部分が残っていながら、描線が解けそうになっていて、目を見るでも/目が見るでもなく、目が或る「盛り上がりmound」に化している嘘くんのドローイングを買ってしまったのだけれど。
2010-07-04 02:35:04
@sensualempire 髪と布が逃走線を引くっていうわけですか。メデューサみたいね。目による中心化のエコノミーとそれを乱調する線のあいだの弁証法はあったと思うけれど、でもそれってけっこうありふれてないかなあ。
2010-07-04 02:40:04
そこでこのような仮説を立てる。目を顔貌性の構成を起動させる読解の始動キーだとする。目を基点に輪郭や鼻、口が探されることになり、諸能力を備えた一人の人格がまさに表象されようとするが、記号として周縁に属していたはずの髪と布が乱舞し、読解の読み取りヘッドをあらぬ方向へ導いてしまう、と。
2010-07-04 02:36:43
結果、解答に失敗した圧縮ファイルのごとき「顔貌」が創造の内側に描画される。しかしわれわれは眼にまた立ち戻ってしまう。なぜなら、キャラクターに見られることで、応答が要請されるからだ。そして乱舞する描線と色彩と光の中からなんとか「今まさに私を見ているはずの人」を抽出しようとするだろう
2010-07-04 02:39:54
しかし絵画の平面性と、描くことの自体の快楽を主張し続ける髪(=線)たちの蠢きと誘惑によって、輪郭を探そうとする試みはいつまでも失敗に終わり続けるだろう。読み取りヘッドでしかないわれわれの哀れな目は、古いコメディ映画のようにまた同じ失敗を繰り返し、失敗した輪郭の美にうつつを抜かす。
2010-07-04 02:42:44
@masayachiba おそらく千葉さんなら、黒瀬さんの弟子に当たる木下テンプさんの絵などが気に入るかもしれませんね。彼女の絵は目を盛って、口元が色彩で覆いつくされる。フェイクとしての目と秘密の場所としての口という面白い戦略かなと。
2010-07-04 02:46:40
ああ、ちょうどいま浅田さんからメールが来て、やはり目が顔貌性を構成することをどう逃れるかっていうことをおっしゃっている。やっぱそれは思いますよね。
2010-07-04 02:42:54
たしかに黒瀬くんおよびカオスラウンジには、ひじょうにナイーブなお絵かき衝動をどうやって取り戻し、再活性化するかという問いがありますね。RT @sensualempire 描くことの自体の快楽を主張し続ける髪(=線)たちの蠢きと誘惑
2010-07-04 02:45:33
ちなみに僕は、最近は「ただ単にかわいい絵」を描くことの難しさと、密度による強度獲得の戦略が密度を自己目的化してしまう難しさ、これを感じましたね・・・割と普通のことですが、実際に書いた上で思ったことではある。
2010-07-04 02:50:37
.@masayachiba 先日はレセプションにいらしていただき、ありがとうございました。「目」の話、「顔貌性」の話、ぼくの目が中途半端だということを前提にしても少しだけ言わせていただくと、ぼくは「目が顔貌性を構成することから逃れる」という路線はあまりよくないと思っているのです。
2010-07-04 02:47:33
.@masayachiba なぜなら、それは90年代くらいの日本の「抽象画」がやってたことと同じになる可能性が高いからです。目などのモチーフをわかりやすく描くことに対する、異常なまでの警戒心、それこそが日本の絵描きをダメにしたのだと、ぼくはいまでも思ってます。
2010-07-04 02:50:50
.@masayachiba その結果、「画家」は画面を曖昧な色面にすることばかり覚え、ゴリゴリキャラクターを描いている「絵師」の足元にも及ばない、という状態になったのです。
2010-07-04 02:53:25
.@masayachiba だから千葉さんもおっしゃっているように、たとえば異常にレイヤーを重ねまくった目とか、そういう路線に行くべきであることは間違いない。新しい目を描くべきなのですね。
2010-07-04 02:55:11