加害者が「謝る」ことと、被害者が「許す」ことは決して対等じゃない。

佐々木あやみ(@ayammin)さんのツイートを読み、共感したのでまとめました。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - - - - - - - - - - - - - - - - 2012年7月7日 2時10分に、佐々木あやみさんの2012年7月6日 20時59分以降のツイートを抜粋・追加致しました。
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もりたま/ayammin @ayammin

「いじめた側にも人権がある」これはその通り。でもなぜそのことが「だから調査はしない」につながるのかを、簡潔かつ納得できるように説明してほしい。

2012-07-06 12:06:56
もりたま/ayammin @ayammin

もし本当にいじめた側の人権を守りたいのなら、尚更、真実をちゃんと調査するべきじゃないか。そのいじめの疑いが濡れ衣の可能性もあるのだから。なのに何故調べようとしない。結局教育委員会が守りたいのは、被害者でも、加害生徒の人権でもなく、自分たちだけだよ。

2012-07-06 12:08:07
もりたま/ayammin @ayammin

学校が「友達と仲良くできる」ことだけが正しいと教えるから、いじめられている子どもが、いじめっ子と仲良くできないことで責められたり、自分で自分を責めたりしてしまう。自分に危害を加えてくる人と無理に仲良くする必要はないと、何故言えないのだろう。

2012-07-06 12:10:20
もりたま/ayammin @ayammin

教師「いじめた人はさんに謝りなさい」生徒「ごめんなさい」教師「さん、返事は」さん「…」教師「みんなが反省して謝ってるんですよ。許してあげなさい」さん「…はい」教師「はい、仲直り」…この瞬間に、さんの今までの苦しみは全部なかったことにされてしまう、それが教室。

2012-07-06 12:33:50
もりたま/ayammin @ayammin

ちなみにさっきのは、私が子共の頃に毎日のように繰り返されていた風景。一度「許したくない」と言った子がいて、ひどく教師に怒られていた。死んだお母さんの手作りのカバンをボロボロにされて、許せなくて当たり前じゃないのか。加害者が「謝る」ことと、被害者が「許す」ことは決して対等じゃない。

2012-07-06 12:48:52

以降、抜粋・追加した分のツイートです。


もりたま/ayammin @ayammin

あと、クライアントがリプライ表示に耐え切れないので一旦リプライ非表示にしています。恐らく賛否両論いただいていることとは思うのですが、ちょっと今は返信できません。落ち着いたら読ませていただきます。すみません。

2012-07-06 20:59:05
もりたま/ayammin @ayammin

あと、私が一部の「心無い教師」について述べる際には、「すべての教師がそうだ」と言っているわけでは決してありません。子供達のことを真剣に思い、向き合っている教師の方が大勢いらっしゃることも、そんな教師の方たちがこのような事件に心を痛めていらっしゃることも理解しています。

2012-07-06 21:11:41
もりたま/ayammin @ayammin

ただ残念なことに、たとえ100人のうち99人が良い教師でも、たった1人の「心無い教師」が自分の担任になった場合、子供にとってはその「1人」が自分にとっての教師であるわけで。教師との関係において苦しんでいる子供たちや元・子供達がいることは事実だと思います。私もその一人です。

2012-07-06 21:14:45
もりたま/ayammin @ayammin

親子間の虐待でも、子供どうしの「いじめ」でも、被害者に加害者を許す「義務」などない。もし本人が相手を心から許せるなら、それはそれで素晴らしいと思います。でも、別に許せなくたっていいじゃないですか。相手と距離を置いて、関わらないようにすることが「解決策」でもいいじゃないですか。

2012-07-06 22:01:28