佐々木先生「男性の脚よりも女性の脚を愛す」

togetterテスト。
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@Flexion_Me

一人の女性を愛す倫理的な必然性が失われた場合、際限なく不特定多数の女性を愛すのか、一人の女性に複数の愛すべき女性を見出していくのか。

2012-06-27 16:34:13
眼鏡パンダ @sacreconomie

@Flexion_Me これは大変難しい問題で、ただちに答えは出せません。女性は定義上、全員かわいい。しかし、美女はまれである。現状ではこう考えています。

2012-07-05 20:16:25
@Flexion_Me

@sskyt 女性は全て可愛い。その通りだと思います。そして、美女はまれである。これもその通りだと思います。しかし、そもそも美しさとは何なのでしょうか。さらには、わたしたちは女性の何を愛するのでしょうか。

2012-07-05 20:28:53
眼鏡パンダ @sacreconomie

@Flexion_Me 私は、男性器と女性器を比べて女性器をより愛している訳ではなく、男性の脚と女性の脚を比べて女性の脚をより愛しています。女性器は女性しか持っておらず、脚は男女とも持っているにも関わらず。つまり、女性の中の「何か」ではなく何かの中の「女性」を愛しているのです。

2012-07-05 20:46:05
@Flexion_Me

@sskyt なるほど。それだと美しさが愛の対象とならないことも説明がつきますね。美しさは男女の別を問わないものですから。しかし、そうすると美しさは空疎なもののようにも思えてきますが...

2012-07-05 21:11:14
眼鏡パンダ @sacreconomie

@Flexion_Me また少し考えました。少なくとも私の場合、「女性」を愛することに美は無関係のようです。仰る通り、美は男女を問わず、実際、私は美男子も美女も好きです。では美とは何か、と問われれば、美は観念にすぎない、と答えざるをえません。

2012-07-07 12:28:43
@Flexion_Me

@sskyt 美は観念にすぎないということで、かつてバタイユが観念を愚弄していたことを直ちに想起しましたが、佐々木さんは最初の返答で「美女はまれである」と仰ってもいました。二つの立場は、一見矛盾しているようにも思えますが、佐々木さんにとってもそうなのでしょうか。それとも...

2012-07-08 00:59:16