10周年のSPコンテンツ!

古来日本における女性の地位について

勉強用セルフまとめ ※引き続きお勉強は続けるつもりですが、このまとめはここでいったん完結します。 その後読んだ本はこちら。 https://togetter.com/li/1144604
歴史 女性史 古代史 日本史 女性
98

↓2016.12.16追記:続きのようなものです。

ツイートまとめ 「聖の性」から見る僧侶と淫戒 江戸以前の日本における性のあり方について考えます。すいません長いです。 古来日本における女性の地位について http://togetter.com/li/1042094 の続きのようなそうでもないような。 3662 pv 10 1
ツイートまとめ 「中世の遊女」から見る女性の地位について 古来日本における女性の地位について http://togetter.com/li/1042094 「聖の性」から見る僧侶と淫戒 http://togetter.com/li/1058887 の続きです。 11996 pv 61 23 users 6

⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
いま日本の生殖観の歴史をまとめた本を読んでるんですけどなかなか面白いです。性器崇拝、穢れ思想、女性蔑視がいつ始まったのかとか興味深い。男女別姓が実は男性中心思想だとか。眉に唾つけながら読んでる。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
たとえば、縄文時代の日本人は、性交と出産の関係を知らなかった。子作りは女性だけの仕事と考え、だからこそ女性を生産の象徴として崇拝した。 一方で勃起した男根にも神秘の力が宿るとして石棒を作り崇めた。石棒は生産ではなく蝗などの害悪を払う破邪の象徴である、とか。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
土偶は女性像であり、乳房や陰部などの性器を誇張して表現しているものが多い。これはキリスト教以前のヨーロッパにも見られる女神像の特徴でもある。 つまり性的特徴を強調する表現は数万年の歴史があるわけで、今さら何を、という感もある。

ユーラシア大陸(西はフランスから東はロシア東部まで)では「ビーナス」と呼ばれる女性像が3万5000年ほど前の地層から出土しています。これらは胸や腰部が非常に大きく作られています。
ブルガリアで出土した「パザルジクの貴婦人(または座像)」が紀元前4500年頃、後述するキュクラデス人形が紀元前3000年頃です。
縄文時代における女性型と思われる土偶の出土は紀元前6000年頃とされています。したがって日本に限って言えば「8000年くらい前からある表現」ということになります。


⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
日本人は性をどう考えてきたか amazon.co.jp/dp/4540970771/ 先日触れたこの本をもとに、日本における性表現の歴史についてちょっと整理してみる。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
とりあえず近年のような、性的なものをよくないもの、隠すべきものとはっきり意識が変わったポイントとして、著者は「解体新書」を挙げている。この本で性器を陰器と訳し、関連部位にも「陰」の字が多くみられる。

×:意識が変わったポイント
〇:意識が変わったことを示すポイント

後日注:「陰」という文字は陰陽思想から来ていると言われています。陰陽思想では男性が陽、女性が陰とされていますが、解体新書では「陰嚢(つまり玉袋)」という訳語もあり、男女関係なく性器全体を陰としています。

⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
古代日本人は女性性器に対し敬意と愛着を抱いていた。日本書紀や古事記では男女性器をともに「ト」と呼ぶが、女性器には特に「ミ」や「ホ」をつけて「ホト」や「ミホト」としていた。「ミ」は尊敬の接頭語、「ホ」は秀でるなどの意味で、良いものの意味である。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
江戸時代になっても「陽根」、「玉門」であった。明るい「陽」と輝く「玉」である。しかし解体新書では「陰」になり、明治八年に千葉繁が「造化機論」を訳出した時には、陰部、陰茎、陰唇、会陰など片っ端から「陰」をつけ、この訳語は現在でも医学用語に多く残っている。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
男根崇拝の奇祭として有名なかなまら祭り、男女交合の儀があるおんだ祭りなど、性信仰の名残が現在に伝わる国は、日本のほかにはインド、ネパール、チベットなど数えるほどしかない。 これは日本が農耕社会であり、豊穣祈願祭が農民の娯楽として重要だったからである。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
また、日本に伝わった仏教は大乗仏教であり、より多くの人々に広めるため、その教えはかなり寛大であった。出家者たちは女性を修行の妨げになるとし、女犯を禁忌としたが、密教は男女の交わりを正常なる菩薩の境地と教えた。多くの為政者も統治のためかこれら男女交合の神事を認めていた。

×:正常なる菩薩の境地
〇:清浄なる菩薩の境地

⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
応仁の乱以前まではこうした祈年祭が公式行事として行われていたが、徳川幕府は儒教道徳を政治の基本としたため、公式行事としては復活しなかった。それでも民間行事として根強く残っている。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
結論としては、やはり徳川幕府が推し進めた儒教道徳、朱子学の意識がなんだかんだ言って明治維新後も生き残り、現在に至るのかなあという印象。 江戸時代までは上は上で厳しくやっとくれ、俺らは楽しくやるからよ、と分断されていたのが、維新で混じりあった結果上の方の人の意識に染まったのかなと。

「大正デモクラシーの頃までは日本にも身分制度の名残のようなものは残っていた」という指摘を頂いています。

⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
とりあえず以上です。 途中式をかなり端折っているのですが、本書ではかなり丁寧に文献を積み上げてます。考古学者や歴史学者とはまた違った視点で面白いわけです。

⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
日本人は性をどう考えてきたか amazon.co.jp/dp/4540970771/ 昨日に引き続きこの本から、日本における女性差別、女性蔑視の歴史を辿ってみます。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
古代日本人は、死の穢れ(死穢)は家族や血縁者を汚染すると信じ、死を黒不浄と呼んで恐れた。『魏志』倭人伝に、倭人は死者が出ると、その遺族は十数日喪に服したのち水浴して穢れを清める習俗があると書いてある。ただ、この頃には血を穢れとする思想はまだなかった。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
もともと農耕社会であった日本には女性崇拝の思想があり、シャーマン的女性が首長をつとめることもあった。一方で国を治めるための武力、統率力として男性の力も必要としていた。卑弥呼と弟に見られる「姫彦制」は他の国でも多く採用されていた。
残りを読む(67)

コメント

わんゼット @keremycuvymu 2016年10月29日
前に神社の舞姫さん(巫女さんより格式上)の人が、「男女の交わりはご法度のように思われていますが、神道では自然の営みとしておおらかに受け入れられています」と言う話をしていたのを思い出した。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy 2016年10月30日
keremycuvymu 「国生み」に見えるように神道の世界観に性交は深く影響しています(処女受胎のキリスト教とは対照的ですね)。性器崇拝、男女交合の神事を行う祈年祭はだいたい神社で行われていますし、出雲阿国も出雲神社の巫女出身ですし、そのあたりはやはり禁忌ではなかったのでしょうね。
くぅにゃん@⚡パプリックエネミー⚡避雷針野生派 @qoonyan 2016年10月30日
>大陸文明が入る前の日本人は母だけを親と信じていた なるほど、それで異母兄妹の婚姻があっても同母はないというか、禁忌とされてたのか!子供時代に読んだ漫画の疑問が今頃解消されました。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy 2016年10月30日
qoonyan そうですね。子は成人するまで母のもとで育てるという習慣もあったようで、それがなおさら禁忌につながったかもしれません。制度が変わったからといって簡単には意識は変えられないのが難しいところです。
Cook⚡ @CookDrake 2016年10月31日
こういう丁寧に書物を読み込んでいくまとめは得てして伸びない。他方、晒し上げや糞の投げ合いはよく伸びる。やれやれ勿体無い。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy 2016年10月31日
CookDrake 自分用のまとめなので伸びるとは思ってなかったのですが、発言の一つがバズってくれたおかげで多くの人に見ていただけることになり、ありがたい限りです。とはいえかなり極端な見方でして、まじめに愛読、研究されている皆様には本当に申し訳ない次第です。
宮原太聖 @TaiseiMiyahara 2016年11月2日
まず、つい最近まで女性蔑視的な考え方の方が「進歩的」な考え方だった点については、ちゃんと押さえないとダメだよね。欧米(近代の法体系など)にしても中国(儒教・朱子学)にしても。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy 2016年11月3日
TaiseiMiyahara 「伝統」とか「習慣」とかいう場合、それがいつからなのかという視点は重要かなと思いました。
みゆう @MinamidaYminami 2016年11月3日
こういうのを見ると、東洋にしろ西洋にしろ、女人禁制、血の穢れ等の余計なしきたりや宗教(戒律、思想)が発達していなかった古代の方が自由で良いなと思いますね (=^人^=)
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy 2016年11月7日
MinamidaYminami 縄文時代の食料調達は狩猟採集であり収穫には限りがあるため、人が増えすぎると養えなくなるので、嬰児を殺害する「間引き」を行われていたという説があり、また土偶は避妊のまじないであったのではないかという説もあるそうで、古代は古代で大変だったようです。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy 2016年12月16日
続きっぽいまとめを追加しました。
サラダバー@サダダダ @saki61 2018年5月21日
紹介されてる書籍もチェックやね(・∀・)
きゃっつ(Kats)⊿11/17乃木坂大阪個別 @grayengineer 2018年7月4日
明治初期のころはいわゆる鹿鳴館主義的なもので、バカにされないように欧米の価値観に合った習慣や振る舞いに変えていこうという動きもあったと思われ、それは史料上でも一部認められるようです。特に肌の露出に対する意識の違いなどは大きいようです。
きゃっつ(Kats)⊿11/17乃木坂大阪個別 @grayengineer 2018年7月4日
そういう意味では直接的ではないけれど間接的にキリスト教的な要素も影響を与えたと考えてよいかと思います。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy 2018年7月4日
grayengineer 明治期の開国と風紀引き締めに関する話は別のまとめで触れています。 https://togetter.com/li/1140185 売春や人身売買が当時の日本では当たり前すぎて否定する風潮が薄く、結果として外来の思想であるキリスト教系団体が廃娼運動の中心に立ったという見方もできるとは思います。