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@tricken 外延的定義と内包的定義のちがいのイメージとして僕がもってるのは、前者は要素をいっこずつ手動で集合に帰属させていくけど、後者は要素をがばっと入れもの(条件)につっこんでまとめて集合に帰属させるっていうかんじです
2010-07-06 13:05:23@tricken うーむ、外延的定義が数学の対象になるとはどういうことでしょうか。数学として、集合論の考察対象は集合で、ロジックの考察対象は論理(構文論と意味論)です。(続く。
2010-07-06 13:09:23@tricken (承前)ふつう、外延的定義とか内包的定義というと集合論などの話ですらなく、普通の数学で道具として集合を扱うときの話だと思います。しかも本質的なところではなく単に表記上の問題として。
2010-07-06 13:10:50.@zhanpon 内包的定義の側(対称しているのは外延的定義の側)でした。……と応答を考えているうちに、なんで外延的定義は集合論・述語論理の本格的な対象にならないのかがなんとなくわかってきたように思います。
2010-07-06 13:03:08@zmzizm 考えてみました:{x|福沢諭吉,樋口一葉,野口英世,聖徳太子}という外延と以下の内包{有名人}{日本人}{作家}{科学者}{髭が生えている}{病死した}が両方あるとします。この時、固有名{野口英世}であるための十分条件と必要条件のヴェン図を、外延コミで表したい。
2010-07-06 13:11:02@zhanpon 哲学では、日常概念の不明瞭さをdenotationとconnotationの問題として扱ってきたはずなんですよね。先行議論があるのはわかってますし、そこは「自分で勉強しろよコラ」でFAなんですがorz……あくまで「数学」ではなく「日常概念」への応用のことでした。
2010-07-06 13:15:19.@zhanpon なので、「集合は、要素をイチイチ採り上げず、条件的定義のみですっきりと扱う技法です」と言う話であれば、特に問題はないのです。
2010-07-06 13:16:20たぶん、ある語彙がdomainによって意味が異なることを数学的・論理学的に厳密に論じようとすると……圏論になるんだろうなあ……むりだなあ圏論……。
2010-07-06 13:17:43高校の時に圏論のカリキュラムをやってくれれば、日常概念に関心のある俺とかははりきったのに!(高校数学もまともにこなせなかった自分が何をいっちょる)
2010-07-06 13:19:47ダメットの論文が「レーヴェンハイム=スコーレムの定理の哲学的意義」ではなく「ゲーデルの定理の哲学的意義」なのは前者が集合論を前提にした定理だからか
2010-07-06 13:17:54野口英世とか固有名は固有名それ自体が定義で一つの集合で、いくら条件を列挙しようと、いくら集合を重ねようと、固有名にいきつくことはないのでは? いきついたら、その事典で固有名じゃないし。 @tricken
2010-07-06 13:20:44.@millionsage ああ、そうか。固有名xが「集合の要素」なのか「指示対象の固有名それ自体」なのかは、選んだドメインによって切り替わってしまう(しかも集合論で考えようとすると、何らかのドメインにおける集合の要素それ自体にしかならない)、ということでしょうか?
2010-07-06 13:23:45@zhanpon このことを考えるために、今社会表象(social representation)のことを学んでいるのですけれども、元々はグッドマンとか分析哲学でどうにか解決できる議論はないのかと探していたのでした。『世界制作の方法』はかなり近いんですけど……そういう悩みでした。
2010-07-06 13:26:08わたしはしょうじき、とりっくんさんがいっていることがわかりません><w domain/領域とかやなとか思うけど。集合論も集合も思考のツールなので、普通に向き不向きはあると思いますが。 @tricken
2010-07-06 13:27:05@tricken 野口英世であるための条件というのは固有名の確定記述のことでしょうか。この場合、野口英世はクラス名じゃなくて固有名ですが、条件で定義(ないし確定)する以上、定義の種類としては内包的になると思います。
2010-07-06 13:27:17@zmzizm そうなっちゃいますか……固有名も集合で記述されてしまう以上、ベン図で「外延的定義としての固有名」って考えてもあまり意味がないんだなあと気付き始めました。整理してくださり感謝。/(自分には実力が足りてませんが)圏論まで行かないと外延を語れないのかなと思ってます。
2010-07-06 13:30:26