「しつけ」の名目で子供を虐待する親にありがちな話。

あくまでも「子供側から見た風景」と、40年ほど父母と付き合いがある、彼らをよく知る人から集めた「断片的な情報」から作り上げた『多分80%ぐらい正確』な話です。 昭和生まれの人達にはもちろん、現在にも通じる似たような話がたくさんあると思います。 公共性がありそうな気がしたので、自分でまとめてみました。 続きを読む
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SL @_salt_and_light

「『虐待された虐待された』とTLをうるさくしてるチミ、そうは見えないし元気そうなんだけど?」という疑問を持たれててもおかしくなさそうだし、ひょっとしたら今現在苦しんでいる人に役立つ情報なのかもしれないので、なぜ自己肯定感を獲得できたのかを書いてみたいんだけど、日本語に自信がない。

2012-07-06 20:34:11
SL @_salt_and_light

以前もチラリと書いたけれど、父親(兄弟妹の三人兄弟の順番で真ん中の次男)の父親(つまり私の爺さま)が、家の外に女を作って家から出ていった。

2012-07-06 20:46:31
SL @_salt_and_light

父親が育った家庭は、食事の支度もできないほどお金がない日もあれば、たまたまどこかで一山当てて、家族が知らない人まで呼んでどんちゃん騒ぎをするほど金があるときがあったりと極端から極端で、とても不安定だったらしい。身勝手な爺さまは気まぐれで家に金を入れたり入れなかったりだったとか。

2012-07-06 20:51:51
SL @_salt_and_light

そんな家庭で戦前生まれの爺さまから、言葉ではなく鉄拳制裁で有無をいわさず殴られて育てられた次男な父親。長男のおじと次男の父親の運命が、立場の違いで決定的に別れた。

2012-07-06 20:56:00
SL @_salt_and_light

外に女を作って気まぐれに帰ってきたり帰って来なかったりする爺さま。婆様は「将来自分の面倒を見てくれるのは、自分が頼りにできるのは、長男(私のおじ)だけ。」と、かなり目に見える『えこひいき』を兄弟の間でしたらしい。

2012-07-06 20:58:07
SL @_salt_and_light

次男の父親は、死ぬまで「俺は冷や飯を食わされた」と親(爺さま婆様両方)を恨んでいた。婆様(母親)からの愛を求めていた。今になって思い出すと、すごいマザコンのまま死んでいった、ある意味気の毒な人。

2012-07-06 21:02:22
SL @_salt_and_light

思春期を過ごしたのが戦争が終わった直後で、いつもお腹をすかせてご飯が食べられればありがたい、という時代。親(母親なのかな?)の愛を乞うていた私の父親は、一生懸命努力して公立の進学校に入学し、大学もその当時では(本人曰く)そこそこのところに行ったとか。いつも母親のことを想っていた。

2012-07-06 21:25:20
SL @_salt_and_light

需要があるのかないのかわからないけれど、いつもうるさくしてて申し訳ないので説明責任を果たす、という意味で続けます。でもちょっと休憩させてください。書きためて10回推敲しろよ、と思わなくもないのですけれど、勢いがないと書けないと思うのでごめんなさいです。

2012-07-06 21:30:46
SL @_salt_and_light

人の目を引きたがりで、寂しがりやな『かまってちゃん』だった、というのは父を知る全員が同様の証言。

2012-07-06 21:27:27
SL @_salt_and_light

父親が育ったのは戦時中、戦争物資の大生産拠点だった場所で、米軍から徹底的に爆撃されて戦前の街の痕跡を探すのが大変なぐらい破壊された街。兎にも角にも食料がなくて、いつもひもじい思いをしていたらしい。

2012-07-06 21:42:22
SL @_salt_and_light

ひもじいわ婆様は兄貴ばかり贔屓するわで、死ぬまで当時の恨みつらみを吐き続けていたというのが私の記憶。酒と煙草と仕事に依存して、家庭や子供の教育はすべて妻に「完璧に運ぶよう命令」して、意にそわなければ暴れる叫ぶ怒鳴りこむという『典型的なアル中』に成長。

2012-07-06 21:47:23
SL @_salt_and_light

これまとめられたらすっげーイヤだな。。。でも続けよう。いつもうるさくしてるし。相手に理解できる言葉で説明を。

2012-07-06 21:55:14
SL @_salt_and_light

父が青年時代を送ったのは、頑張れば頑張っただけ報われる、という『夢』を見られた時代。実際に経済は成長し、その復興と発展する街並みの様子は『思い込み』を『真実だ』と人々に錯覚させのに十分だった。

2012-07-06 21:59:16
SL @_salt_and_light

長くなるので割愛すると、兎にも角にも精神論でなんとかなる、と信じこまされた世代。当然『頑張ることは正しいこと』『うまくいかないのは頑張りが足りないせい』と妻にも子供にも要求した。お見合いで娶った妻も父の母親と同じく学問がなく、経済的に父親に依存せざるを得ない相手を選んだ。

2012-07-06 22:09:43
SL @_salt_and_light

わざとかどうかは今更確認しようがないのだけれど、経済的に支配すれば、容易に従順になる相手を選んだ、というのが自分の今現在の見方。妻に対する暴言や経済的非対称性を利用した精神的DVは、DVという言葉が存在しない故に彼が築いた家庭で正当化された。

2012-07-06 22:14:12
SL @_salt_and_light

私の母親の口癖はいつも『「完璧に」「完璧に」』。そうさせたのは父だと思う。そして、子供にも『完璧』を要求した。

2012-07-06 22:16:58
SL @_salt_and_light

今になって思えば、無理に決まってんじゃんねw 続けます。

2012-07-06 22:17:42
SL @_salt_and_light

ちなみに父のあだ名は父方の親戚内で「小姑」。神経質で細かいところまで完璧を追求して、人にも完璧を求めて満たされないと感情を爆発させる。自分が記憶している子供の頃の母の姿は、いつでも掃除をしているか料理をしているか、子供を殴って言うことをきかせているかのどれかしかない。

2012-07-06 22:20:12
SL @_salt_and_light

言語化して語りつくしたら自分の中の怒りが昇華されてしまいそうな感覚が。。。多分、それが実現した時に『過去の受容』という作業に一段落がつくような気がする。

2012-07-06 22:24:02
SL @_salt_and_light

母が子供を脅してすかしたりなだめたり、殴ったり、逃げ出したところをストーカーのように追いかけて家に連れ戻したのは、父が怖かったからだと思う。母自身がなぜ子を叩くのか、怒鳴り散らすのか理解していなかった。

2012-07-06 22:29:15
SL @_salt_and_light

「あなたはお父さんが怖いから、私に自分勝手をされると困るのでしょう?」と言ってもはじめは聞く耳を持たなかった。完全に洗脳されてる状態。痛みと恐怖はあそこまで完全に自らの思考を捨てさせ、精神をコントロールできるのか、と今になって思う。自分もまったく同じようにコントロールされていた。

2012-07-06 22:33:11
SL @_salt_and_light

ある科目で学年トップになっても他の科目のだめなところばかり指摘されて、なぜ努力を認めてもらえないのか理解できなくてノイローゼになったり、荒れて学校で暴力をふるって居場所がなくなったり。母が自分を認めない理由は「完璧に子供を仕上げないと『私がお父さんから叱られるから』」。

2012-07-06 22:41:38
SL @_salt_and_light

小学校低学年の頃から塾で完璧に全科目100点を取らないとぶん殴られたり(たまに流血)、進路や着る服や食べるものとか一事が万事。『母の不安』を解消するためにがんばればがんばるほど要求は高くなり、がんばればがんばるほど消耗していった。そして、折れた。

2012-07-06 23:03:56
SL @_salt_and_light

母の不安は父に原因があり、父が子供に完璧を要求したのは彼が『母(婆様)に認めてもらいたかったから』であり、母(婆様)から愛されない自分を馬鹿にした(と思い込んでいた)『世間を見返したかったから』ということを理解した時、どこに向かうかわからなかった暗闇のトンネルの中に光が差した。

2012-07-06 23:18:52
SL @_salt_and_light

親の期待に添えない子供に向かう「お前なんか生むんじゃなかった」「お前じゃない子供がよかった」「お前なんかいない方がいい」攻撃は数年前まであった。しかし、説明する言葉を得た自分には、理解してくれる味方がたくさんできた。

2012-07-06 23:25:08