表象文化論学会・第7回研究発表集会後の石岡良治氏と宮本大人氏の対話

@yishioka=石岡良治氏 @hrhtm2011=宮本大人氏
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MIYAMOTO,Hirohito @hrhtm2011

伊藤剛さんが『テヅカ・イズ…』で、「映画的技法」に執拗にこだわる竹内オサムさんの議論から、漫画においてフレームの不確定性を抑圧・操作するための一つのスタイルの形成を読みとっていくくだりは、まさに石岡 @yishioka さんのおっしゃるスタンスの成果ですよね。

2012-07-14 23:58:20
MIYAMOTO,Hirohito @hrhtm2011

これはあの場でイメージていたのはそんなに変わったものではなく、少女漫画によく見られるようなコマにコマを重ねるとか、枠線のないコマを混在させるというような事例でした。 RT @yishioka 改めておたずねしたいのは、宮本さんが想定していたマンガの実例ですね。

2012-07-15 00:04:33
MIYAMOTO,Hirohito @hrhtm2011

夏目房之介さんたちの『マンガの読み方』では、70年代の少女漫画を例に挙げ、「アニメのセルを重ねるように」というような言い方がされていましたが、今ならそれは「レイヤー」という言葉を使った方が通りがいいように思います。(続く)

2012-07-15 00:07:19
MIYAMOTO,Hirohito @hrhtm2011

(続き)でもアニメの1コマにおけるキャラ絵のレイヤーと背景のレイヤーの区別と、アニメなら違う時間を表現している二つのコマにあたるものを重ねるようなマンガの表現において、二つのコマを「レイヤー」と呼ぶのは、当然意味が違ってきてしまう。(続く)

2012-07-15 00:09:12
MIYAMOTO,Hirohito @hrhtm2011

(続き)そうしたことには当然注意をしないといけないけれども、石岡さんがおっしゃるように、同じ「フレーム」とか「レイヤー」という言葉を当てはめることが可能な二つの表現形式を、まるで別のものとして扱うのではなく、それこそ重ね合わせ可能なものとして見てみると(続く)

2012-07-15 00:11:25
MIYAMOTO,Hirohito @hrhtm2011

(続き)いろんなことが見えるんじゃないか、ということでした。例えば、漫画においても一コマの中で、キャラ絵と背景では明らかに作画のリアリズムの様式が異なることは普通にあり(水木しげるとか)、ラマールさんがその作品の背景のレイヤーの蠢きに注目する宮崎駿が(続く)

2012-07-15 00:14:11
MIYAMOTO,Hirohito @hrhtm2011

(続き)漫画を描くと、キャラ絵のレイヤーと背景のレイヤーをむしろ分けないことに自らの思想性(諸星大二郎を評価するときに宮崎は「人間が風景を支配していない」と評価する)を表現しようとしていることなどが見えてきます。(続く)

2012-07-15 00:16:09
MIYAMOTO,Hirohito @hrhtm2011

(続き)そうすろとセルアニメにおいては技術的にキャラ絵のレイヤーと背景のレイヤーは区別されざるを得ないので、それを乗り越えるために、宮崎アニメにおいては背景のレイヤーがそれ自身の蠢きをはっきり主張しているとも言えるかもしれない。(続く)

2012-07-15 00:17:55
MIYAMOTO,Hirohito @hrhtm2011

(続き)津堅さんが3Dアニメの技法の中で、強引に2Dアニメの様式を残そうとして、独特の様式ができているとおっしゃっていた事例も、デジタル作画が増えてきた漫画の様式にも適用できる部分もあると思いました。(続く)

2012-07-15 00:23:55
MIYAMOTO,Hirohito @hrhtm2011

(続き)ともあれ、僕はむしろあの場では、いろんなことが考えられそうだなあくらいのことしか思っていなくて、ラマールさんや石岡さんがまさにあの場はアニメーションのシンポだからと「自重」なさっている漫画との比較論のヒントとかがあったらお聞きしたいなと思った程度でした。(続く)

2012-07-15 00:25:53
MIYAMOTO,Hirohito @hrhtm2011

(続き)今、自分は残念ながらこういうことをゆっくり考える余裕がないので、石岡さんはじめ、みなさんの今後の考察に期待します、ということで雑駁なレスですいませんが、連投終わります。

2012-07-15 00:30:00
Yoshiharu ISHIOKA @yishioka

忙しい中お返事ありがとうございます。マンガが「見る」よりは「読む」ものである所以ですねRT @hrhtm2011: これはあの場でイメージていたのはそんなに変わったものではなく、少女漫画によく見られるようなコマにコマを重ねるとか、枠線のないコマを混在させるというような事例でした。

2012-07-15 01:03:27
Yoshiharu ISHIOKA @yishioka

水木しげるや諸星大二郎における背景とキャラ絵の関係については、私も『ユリイカ』で分析したことがあります(『ユリイカ』水木論には「三太」「三平」の混同という致命的なチェックミスが残っているのですが)が、マンガという媒体の可能性を様々な形で示していると思います。

2012-07-15 01:08:33
Yoshiharu ISHIOKA @yishioka

プリキュアのEDがその最先端だと思いますRT @hrhtm2011 : (続き)津堅さんが3Dアニメの技法の中で、強引に2Dアニメの様式を残そうとして、独特の様式ができているとおっしゃっていた事例も、デジタル作画が増えてきた漫画の様式にも適用できる部分もあると思いました。(続く)

2012-07-15 01:10:23
Yoshiharu ISHIOKA @yishioka

近年ではゲームの影響を通じて「新たな形での3DCGの日本アニメへの導入」が広まりつつあると考えており、一ゲーム好きとしてはとても興味深い傾向性だと思っています。いくつかの実写映画にも先行例を持つとはいえ、ループする物語の頻出などもその例だと考えられます。

2012-07-15 01:13:02
Yoshiharu ISHIOKA @yishioka

例えば美術で疑念の対象となりがちだった「トリックアート」的表現の再検討も含まれますRT @hrhtm2011: これは本当に重要な論点ですよね。 RT @yishioka 表現領域の固有性テーゼは、固有性を無視しているかのような事例によって試され、問い直されるのだと思います。

2012-07-15 01:14:32
Yoshiharu ISHIOKA @yishioka

「トロンプルイユ」の「トロンプ」、「トリックアート」の「トリック」、いずれも「騙す」という意味合いをもち「メディウム・スペシフィック」のもとでは「誠実性を欠く」とされやすいわけですが、実際のところ、そのような事例を経由することで各々の「メディウム」の潜在的な可能性が具現化されます

2012-07-15 01:17:18