かりん燈関東「障害者総合支援法勉強会」竹端寛さん
- komats_torako
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竹端さんのかりん燈関東学習会は、とても考えさせられるものだった。前半の竹端さんのお話では、骨格提言の内容やその主眼について。後半で少しパーソナルアシスタンスについて。で、休憩後の質疑応答では、介助者たちからの介助労働に関する問題が多く提起される。この時間はザ・かりん燈だった。
2012-07-17 11:23:06こうした話に通底する問いが、介助が、安定して、食っていける仕事であるためにはどうすればよいのか、というものだった。なお、これはあくまで私の整理です。が、大きくはずれていないと思う。食っていける仕事、安定した仕事。これを介助者から声をあげていくかりん燈の実践はとても大切なんだ。→
2012-07-17 11:34:21かりん燈の実践(運動)が非常に重要であることを何度でも認めた上で、同時にものすごい危うさも感じて、頭の中がぐるぐるしていた。それは、ともすれば障害者VS介助者の構図に陥ってしまい、結局、既存の介護政策の中に丸め込まれてしまうスレスレのところを走っているのではないか、ということ。→
2012-07-17 11:38:55骨格提言に、かりん燈が主張してきたような介助労働の厳しい実態が十分に組み込まれていないのは確かだ。ただ、パーソナルアシスタンスの意義と重要性が書かれていることの大切さと、それを広めていくことの重要性を思っている。現在の重度訪問介護による介助労働は、こうしたPAの必要を→
2012-07-17 11:42:53してきたことを土台として成り立っているのではないか。また、PAの基本である利用者主体を主張することの大切さを感じながら、それでもそれによる介助者のしんどさがあるという発言もなされた。咄嗟に思ったのは、利用者主体だから介助者がしんどくなるのだろうか、ということ。→
2012-07-17 11:47:11介助のしんどさって何だろう?利用者主体の考えが生み出すしんどさなのか、それとも介護(介助)という行為そのものがもつしんどさなのか。利用者主体であろうとなかろうと、「できない人にできる人が手を貸す」介護行為にはそれそのもののしんどさと困難がある。それを簡単には弁別できないはず。→
2012-07-17 12:06:38さらには、介助のしんどさが制度や仕組みによるものなのか。これらが混在したままなのだと思うし、それが当然なんだけど、介助者のしんどさとは、と語り出す時、何から語り出すのかによっては、不必要な分断や誤解を生み出してしまう可能性が多分にある。そうした介助者運動の難しさを感じる。→
2012-07-17 12:10:50資格制度について。私は資格制度が現実の介護の質を担保するなんて思わないし、働く入り口での資格の必要よりも、いかに現場で継続、徹底的な研修を積み重ねることができるかに尽きると思っている。また、資格の高学歴化が結局は働く人の層を局所的にしてしまうことへの不安も感じる。その意味で、→
2012-07-17 12:17:00→ってしたけど、そろそろ職場につきますので、これにて。ふぅ、言葉にするの難しい。考えるの難しい、書くの難しい、話すのもっと難しい。さらにはやりとりのように反射で話すのは本当に苦手。アウトプット全般が苦手って、どうにかならんか。
2012-07-17 12:27:43ありがとう!ただ、質疑部分は相当簡略化して、曖昧なまま、要点のみの記述です。質疑応答は実況してはいけないので。 あと、連ツイのほっとんどが私の考え、です。RT @kochu_karu_ko: @ymstsck お疲れさま。質疑部分も書いてくれてありがとう。
2012-07-17 14:26:38ありがとう!ただ、質疑部分は相当簡略化して、曖昧なまま、要点のみの記述です。質疑応答は実況してはいけないので。 あと、連ツイのほっとんどが私の考え、です。RT @kochu_karu_ko: @ymstsck お疲れさま。質疑部分も書いてくれてありがとう。
2012-07-17 14:26:38