茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第659回「病気と個性の間に」
- toshihiro36
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びこ(1)先日の代々木公園の集会で、香山リカさんが、「原発維持や推進をしようとする人は、私、精神科医として見れば心のビョーキに罹ってるヒトたち」という趣旨の発言をされたという。youtube上の録画で、私も確認した。この発言が問題とされているが、少し別の視点から考えてみたい。
2012-07-19 07:38:54びこ(2)そもそも、「病気」とは何だろうか。身体のバランス、ホメオスタシスが失われて、健康や生命が脅かされる典型的な病気もあるだろうが、特に精神疾患の場合、個性や、統計的な振れ幅の範囲と、「病気」と診断され、治療の対象となる状態の境界を、明確に定めることは実は難しい。
2012-07-19 07:40:51びこ(3)たとえば、私はとても落ち着きがない。それは一つの欠点ではあるが、同時に、ぱっと切り替えてさまざまなことができるという長所と表裏一体だと思っている。それでは、私の「落ち着きのなさ」は病気なのかと言えば、ある文脈、社会状況の中では、病気と判断されることさえあるかもしれぬ。
2012-07-19 07:41:59びこ(4)かつては、同性愛は「病気」だと思われていた。コンピュータの理論モデルを作ったイギリスの天才数学者、アラン・チューリングは、その同性愛が「病気」だと断ぜられ、強制治療を受けた。チューリングが、毒入りのリンゴを食べて自殺する原因の一つになったと言われている。
2012-07-19 07:43:11びこ(5)「自閉症」も、かつては病気だと考えられていた。今日では、自閉症は一つの個性であり、典型的な脳とは異なるかたちで他者や世界に向き合うに過ぎないと考えられている。ある状態を安易に「病気」と決めつけることは、差別や偏見につながることもあるから、抑制的でなければならない。
2012-07-19 07:44:20びこ(6)精神疾患については、アメリカ精神医学会が定めるDSM-IVが診断の基準とされている。この基準について、河合隼雄さんは、「確定診断が出るまで数年かかることもある。何病と決めることよりも、その人の状態が実際に改善されることの方が大切だ」と話されていた。河合さんに共感する。
2012-07-19 07:46:41びこ(7)ある状態を「病気」と決めることの問題点の一つは、それを「正常」な状態に戻すために、「治療」しなければならないという脅迫観念が生まれてしまいがちなことだろう。実際には、同性愛や自閉症のように、脳の個性に過ぎない場合でも、それが「病気」と認定されてしまうと差別や偏見を生む。
2012-07-19 07:49:15びこ(8)ある子どもの発達の専門家の先生が嘆いていらした。最近は、ちょっと非典型的な子どもがいると、すぐに「○○障害」と診断する傾向がある。その子どもの学びがうまく行かなくても、学校が諦める理由付けに使われてしまうと。私たちは、もっと粘り強く個性と向き合うべきではないか。
2012-07-19 07:51:10びこ(9)もちろん、本人にとって辛く、生活の維持が難しい精神の状態があって、そのような方々を精神科医が救っていることは事実である。DSM-IVのような、統計的アプローチの有効性も認める。その上で、ある心の状態を「病気」と決めてしまうことの潜在的危険性を、もっと自覚すべきだろう。
2012-07-19 07:53:11