《日本の原発事故。実際に起きてみてわかったこと。》

20年以上前に、原発事故が起きたら避難やスクリーニングはこうなるだろう、と予測していたことがありました。 実際に起きてみたら、予想していたこととはだいぶ違いました。 どこが違ったのか、なぜ違ったのか。考えてみました。
12
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

日本の原発で重大事故が起きたらどうなるか、私は20年以上前に想像していた。その想像は、事故が起きて1年以上経過した現在の時点で確認すると、全く間違っていた。間違いの根本はどこにあったのか、考えてみた。

2012-07-29 00:46:20
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

20年以上前に私が想像していた事故後の政府の対応。①まず、電力関係者が事故の発生を家族に知らせ、家族が周辺住民に気づかれないように避難する。②遅れて、政府が周辺住民に避難指示を出す。避難指示に従った住民は、政府が準備した観光バスで、明らかに手遅れの中を、被曝しながら非難する。

2012-07-29 00:50:14
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

③政府の指示に従わずに独力で避難しようとする住民は、幹線道路で警察や自衛隊の検問を受けて、自由に避難することができない。 ④政府の指示で避難する住民も、独力で避難しようとする住民も、検問で厳しいスクリーニングを受け、汚染が深刻な物は、強制的に廃棄させられる。

2012-07-29 00:53:03
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

⑤検問のスクリーニングで人体そのものが深刻な汚染がわかった住民は、その場で家族からも隔離され、政府の厳重な監視下に置かれる。 ⑥汚染が深刻な土地は政府の厳重な監視下に置かれ、立ち入りを規制される。立ち入りができないように、警察や自衛隊が幹線道路を完全に封鎖する。

2012-07-29 00:56:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

さて、実際に事故が起きたときにはどうだっただろうか? ①´まず最初に原発関係者と政府関係者、報道関係者に原発事故の情報が伝わり、関係者の家族と政府関係者、報道関係者が周辺住民に知らせずに避難した。知識があり、情報を優先的に得ることができた人が避難した。

2012-07-29 01:00:22
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

②´地域住民に、事情を知らせないまま避難をさせた。その際、自家用車を利用した避難に関しても、特に規制をかけなかった。その分、避難の出発は早まったが、途中の道路が検問も無いのに大渋滞を起こした。しかも、避難する人の大半は事故の重大さを知らないまま避難した。

2012-07-29 01:04:35
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

③´自力で避難する人々は、検問を受けることもなく、どこまでも自由に避難することができた。警察も自衛隊も検問を行わなかった。なぜなら、警察も自衛隊も全力で危険地帯から遠ざかっていたからだ。住民が左車線に並ぶ中、非常灯を付けて右車線を、高速で爆走する緊急車両の目撃報告もある。

2012-07-29 01:09:17
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

④´検問がなかったので、スクリーニングは後回しに、形式的に行われた。深刻な汚染を抱えたままの物が、全く規制も受けずに移動できた。一方で、深刻な汚染を抱えた人を見つける代わりに国が実施したのはスクリーニングレベルの大規模な緩和だった。住民に数値を示さずに、検査済の紙だけが手渡された

2012-07-29 01:13:33
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

④´(続き)その為、汚染地域から避難してきた人が本当に汚染されていないのかどうかわからず、医療拒否を受けるなどの事例があったと言われる。また、スクリーニングを受けても数値を知らされない為、住民は安心することができなくなった。この時点で、検査は正確でないことが住民にも知れ渡った。

2012-07-29 01:17:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

⑤´スクリーニングを受け、「問題ありません」と言われたのに、後日、学会の発表や報道で、深刻な汚染があったかもしれないことを知らされる例も、現在でも続いている。

2012-07-29 01:18:44
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

⑥´汚染が深刻な地域であっても、事故発生から40日は自由に立ち入りが可能で、規制は幹線道路に限るいい加減なものだ(現在進行中)。飯舘村長泥地区のように、事故後一年以上立ち入りに全く規制がなかったホットスポットもあった。しかし、警察の監視はあった。

2012-07-29 01:22:26
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

さて、原発事故への対応について、私が20年以上前に想像したものと、今回実際に行われたものとで、どうしてこのような大きな違いが発生したのだろうか?大まかにいうと、今回の事故で日本では、限られた範囲内に汚染物を封じ込めようという努力がほとんど感じられなかった。

2012-07-29 01:26:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

汚染された物を封じ込める為には、検査する人も汚染されることを覚悟しなければならない。しかし、日本では、封じ込める役割をすべき人たちが、その場にいなかったし、来なかった。だれがその役割を担当するか、決めていなかった。

2012-07-29 01:33:26
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

汚染された物の所有権を放棄させる為には、当然のように賠償義務が発生する。しかし、東京電力に賠償する意思はない。今でもない。そして、政府が賠償するとなれば、支出を最終的に管轄するのは財務省だが、財務省には原発事故賠償のために政府資金を支出するつもりはかけらも感じられない。

2012-07-29 01:37:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私が間違っていたのは、警察も自衛隊も文部科学省も厚生労働省も財務省も、そして医者も科学者も、ここまで責任逃れをするとは思いつかなかったことだ。今、私は反省している。この国の官僚組織が、自らの責任を国民に要求されずに果たすことなどなかった。それを忘れていたことに。

2012-07-29 01:40:43