国会前に出現した路上解放区に関する考察

笠井潔さんのツイートをまとめました。
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笠井潔 @kiyoshikasai

@bcxxx 仮にきっかけを作ったのが党派左翼の隠れ部隊だったとしても、路上に出た人々は、それぞれの意志で出たのでは。これを hasegawa24さんのように、群集心理で片付けるのには同意できません。群集心理というのは、理性のない、付和雷同的な、無責任な、というような意味だから。

2012-08-01 00:35:19
笠井潔 @kiyoshikasai

@bcxxx たしかに人間には、群集心理で動くところがあります。しかし、当日の現場をどう評価しますか。警察による明らかな過剰警備と過剰規制に対する自然発生的な抵抗なのか、革マルその他に煽られた愚かな群衆の無責任な行動なのか。後者の見解をとるなら、意見は不一致といわざるをえない。

2012-08-01 00:42:02
笠井潔 @kiyoshikasai

@bcxxx ただし、hasegawa24さんの判断のように、もしも革マルが組織的に動いたとすると、厭な感じはありますね。党派左翼は自立的な大衆運動を自派のために利用し、操縦不可能と見れば破壊にかかるのが常だから。この点は、いくら警戒してもいいと思いますよ。

2012-08-01 00:47:14
笠井潔 @kiyoshikasai

@bcxxxあの場所、あの状況での路上占拠はデモ権利という点からも、参加者の「一般意志」の点からも正当だし、だれも押しとどめることはできません。それとも、路上に溢れ始めた参加者を実力で阻止しようというのでしょうか。ではどうすればいいのか、そこを考えるのが組織者の役割だと思います。

2012-08-01 00:51:43
笠井潔 @kiyoshikasai

@bcxxx 党派的な介入は別として、一般参加者の「路上解放」要求と「反原発」は、大きな方向としては矛盾しないと思います。どちらも自由と権利をめぐる問題だから。ただし、具体的な局面では両者が乖離することもある。どう現実的に均衡させていくのか、それに知恵を絞らなければなりません。

2012-08-01 01:27:29
笠井潔 @kiyoshikasai

@bcxxx 同じことを繰り返すようですが、不特定多数の人々に行動を呼びかける以上、集まってきた参加者が呼びかけ側の意志通りに動いてくれるとは限らない。というか、しばしば意図とは違う行動をとる。大衆運動が大衆運度である以上、当然のことです。

2012-08-01 01:30:41
笠井潔 @kiyoshikasai

@bcxxx 組織者はヤヌスでなければならない。一つの顔で「目標」を見すえ、もう一つの顔で「大衆」の熱度や要求を測定する。昨日も書きましたが、力任せに参加者を動かそうとすれば、フイッシングの場合と同じように糸は切れてしまう。参加者の動きに身を委ねれば、組織者が海に落ちてしまう。

2012-08-01 01:34:40
笠井潔 @kiyoshikasai

@bcxxx 薄氷を踏むような絶妙の加減を保ち続けなければならない。それが本来の「政治」です。bcxxx さんはいま、その「政治」を生きているわけで、自分の思い通りにはならない諸条件を正確に計算しながら、運動を進めていくことを期待します。

2012-08-01 01:37:44
笠井潔 @kiyoshikasai

@bcxxx 難しいですね。リスクを承知で道に出る一般参加者と、リスクの計算なく「単純に解放された喜びから前進」してしまう参加者をどう振り分けられるのかに、知恵を絞るしかないと思います。とりあえず子連れや高齢の参加者に、リスクについて可能な限り情報を伝えることでしょうか。

2012-08-01 04:43:35
長谷川幸洋 @hasegawa24

今夜、首相官邸と国会議事堂前に行った。正直に言って、とても心配していた。もしかしたら、この間の日曜日に少し抗議行動が激しくなって、その影響で参加者が減るんじゃないかと。でも、それは杞憂だった。今夜の参加者数は知らない。でも、話を聞いたり参加者の顔をみて、まったく動じていない。

2012-08-04 00:36:57
長谷川幸洋 @hasegawa24

一人ひとりが自分でしっかり考えて、現場に来ている。とても、他人の、たとえば過激な人たちの、動きに触発されるようなレベルではない。そこが、私によく見えていなかった。いったい、これはどういうlことだろうか。もう一度、よく考えてみる。

2012-08-04 00:57:52
笠井潔 @kiyoshikasai

リツイートした長谷川幸洋氏の発言にもあるように、先週の国会前道路占拠は運動の妨げになっていない。もちろん、それで警察の規制が強化されたことはあるだろう。しかし、規制強化には次の手を考えて対抗するしかないし、そうすべきだ。

2012-08-04 01:13:57
笠井潔 @kiyoshikasai

党派や過激中高年(?)の介入を警戒しすぎて、運動のダイナミズムを見失ってはならない。道路占拠がなければ警察の規制は緩かった。あんなことをするから、一車線ないし二車線の解放さえ禁じられ、官邸前抗議は歩道に押し込められのようになったという、現場活動家の実感はあるだろう。

2012-08-04 01:17:46
笠井潔 @kiyoshikasai

しかしモグラ叩きのように、ここを禁じればあそこ、あそこを禁じれば……というように事態が進み、さらに運動が拡大するダイナミズムのほうが、抗議行動として真に力を持つことを理解すべきだと思う。主催者が一般参加者の自発的行動を抑止することはできない。

2012-08-04 01:23:15
笠井潔 @kiyoshikasai

無理にそうしようとすれば、統制に従わない者は「挑発者」として排除する、かつての(いまも?)共産党と同じことになる。

2012-08-04 01:24:37
笠井潔 @kiyoshikasai

ただし、数日前にツイッターで議論したbcxxx氏の警戒心もわからないではない。主催側と一般参加者(組織者と大衆)の、メルロ=ポンティ『弁証法の冒険』でいえば「弁証法的相互関係」論には、大衆蜂起に敵対する「党派」というファクターが十分に意識されていないからだ。

2012-08-04 01:30:15
笠井潔 @kiyoshikasai

メルロ=ポンティの場合は、党派を「いいボリシェヴィズム」と「悪いボリシェヴィズム」に分け、ルカーチ主義的な前者をスターリン主義的な後者に対立させたわけだが、マルクス主義党派である以上、どちらも似たようなものであることは歴史が証明している。

2012-08-04 01:34:36
笠井潔 @kiyoshikasai

依然として東洋的ボリシェヴィキ国家である中国や北朝鮮はもちろん、エジプトやシリアのような権威主義的国家でも、デモの権利はありません。しかし、民主主義的な立憲国家にはある。どうしてなのか。

2012-08-04 02:22:19
笠井潔 @kiyoshikasai

主権者が数年に一度、投票という形でしか主権を行使できない議会制民主主義を補完するものとして、デモなど直接的な意思表明が認められているという通説に、根拠はない。

2012-08-04 02:25:04
笠井潔 @kiyoshikasai

イギリスでもアメリカでもフランスでも、近代的な民主主義国家は、いわば「デモ」によって作られた。イギリスとアメリカでは内戦、フランスでは武装蜂起だが、政治的に無権利状態に置かれていた民衆の直接行動という点では、デモと変わらない。

2012-08-04 02:27:33
笠井潔 @kiyoshikasai

今回もエジプトやチュニジアではデモだったが、より体制が権威主義的だったリビアやシリアでは内戦になった。しかし、この四国での政治的事件が共通の背景をもつことは否定できない。民衆の直接的な意思表示、直接行動は、条件によってデモであるし、武装蜂起や内戦でもある。

2012-08-04 02:31:06
笠井潔 @kiyoshikasai

民主主義国家ではデモである場合が多い。しかし1960年前後のフランスでは、アルジェリア独立に反対する右翼の運動が内戦の様相を呈したように、かならず大衆蜂起が平和的形態をとるともいえない。

2012-08-04 02:34:03
笠井潔 @kiyoshikasai

民主主義国家がデモの権利を認めるのは、おのれ自身がデモによって樹立された事実を否定できないからだ。デモの権利は、つつるところ革命権に通じる。しかし同時に、いったん樹立された国家は、おのれが顛覆されることも認めがたい。だからデモの権利(=革命権)を、請願権に切り縮めようとする。

2012-08-04 02:37:48
笠井潔 @kiyoshikasai

それが理念化されると、間接民主主義を補完するものとしてのデモ、という常識的理解になる。繰り返すが、このような主張に根拠はない。

2012-08-04 02:40:54
笠井潔 @kiyoshikasai

国家機関である警察にも二重性がある。泥棒を捕まえるのが仕事である刑事警察にたいし、警備警察(公安警察)は、現に存在する国家秩序の防衛のために存在する。刑事警察は市民社会の秩序を維持するのが仕事だが、公安警察は国家秩序の防衛を目的とする。

2012-08-04 02:43:39