笠井潔氏による「デモ」に関する連続ツイートPart1

まとめました。Part2はこちら→ http://togetter.com/li/337201
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笠井潔 @kiyoshikasai

この数日はめちゃめちゃ多忙だった、ようやく一休みという感じ。先週金曜の首相官邸デモに触発されて、TMにはデモ関係のツイートが並んでいる。これにかんして一言。

2012-07-02 02:17:42
笠井潔 @kiyoshikasai

一般に、より正確な参加人員数は、上空写真によって警察が把握している。ただし警察発表は、デモの影響力を抑えたいという政治的動機から、かならず実際よりも少ない。万単位のデモになると、主催者側は正確な人数を把握できなくなる。希望的観測も含めて、しばしば過大な数字を公表する。

2012-07-02 02:22:57
笠井潔 @kiyoshikasai

今回の主催者側発表数はいかにも誇大だが、かつて目撃したことのない大規模デモに動転したのだろう。しかし、まあ、たいした問題ではない。

2012-07-02 02:28:05
笠井潔 @kiyoshikasai

デモで政治は変わるか、変わらないかという意見の対立も、よく見かける。「政治」をどう捉えるかにもよるが、政権を打倒したエジプトのデモでは「変わり」、ニューヨークの場合は「変わらなかった」ように見える。このように変わる場合もあるし、変わらない場合もある。一般的には変わらない方が多い。

2012-07-02 02:36:23
笠井潔 @kiyoshikasai

今回の場合、政治を「変える」とは、原発再稼働という政府決定を「変える」ことだとしよう。諸般の条件を考慮すれば、たとえ先週金曜の10倍のデモが起きても、野田は判断を変えないだろう。ただし何10万というデモが連日のように繰り返されたら、政治判断を誤った野田の退陣は早まるかもしれない。

2012-07-02 02:45:47
笠井潔 @kiyoshikasai

デモで政治を変えるためには、街頭行動を議会制民主主義の手続きに、うまく繋げなければならないという意見もある。河野太郎の、地元選出議員の事務所に陳情しろという類だ。あるいは原発推進議員のリストを作って、次の選挙に向けて落選運動をはじめるとか、その他もろもろ。

2012-07-02 02:49:40
笠井潔 @kiyoshikasai

間接民主主義を補完するファクターとして、デモを位置づける場合は、こうした意見になる。それはそれで、ある程度の有効性を見込めるかもしれない。しかし、微温的なリベラル派に多い以上のような見解は、デモの意義を議会制民主主義の枠内で理解するものにすぎない。デモには、それ以上のものがある。

2012-07-02 02:53:13
笠井潔 @kiyoshikasai

イギリス革命とアメリカ革命の場合は、デモというより内乱、戦争だが、7月14日を画期とするフランス革命は労働者街のデモからはじまり、バスティーユ襲撃の武装蜂起がそれに続いた。いわばフランスでは、デモが共和国を、そして議会制民主主義を「創造」した。

2012-07-02 03:01:26
笠井潔 @kiyoshikasai

政治理論上の憲法制定権力は、国民議会にあったわけではない。それは街頭に、ようするにデモのなかに存在した。立憲国家を創造したのがデモである以上、デモは議会制民主主義を活性化するための補完物にはとどまりえない。

2012-07-02 03:04:46
笠井潔 @kiyoshikasai

ある国家体制(憲法秩序)が別のそれに移行する境目には、カール・シュミットのいわゆる例外状態が生じる。例外状態は対外戦争、内乱、クーデタ、革命、などなどであり、戒厳令や非常事態宣言は、旧体制の側からする例外状態の宣言といえる。

2012-07-02 03:09:06
笠井潔 @kiyoshikasai

だからデモには、たとえどのように地域的で小規模であれ、既成の国家体制や憲法秩序を根本から問い直し、異議を申し立てるという本質が、もかならず含まれている。デモは民主主義の潤滑剤ではない。

2012-07-02 03:14:46
笠井潔 @kiyoshikasai

民主主義国家がデモの権利を認めているのは、存在を問い直される可能性を否定しては、民主主義国家たりえないからだ。集会結社の自由や示威行動の自由は、そのままロック的な抵抗権、革命権ではないが、ここには解釈のヘゲモニー闘争の余地がある。

2012-07-02 03:17:00
笠井潔 @kiyoshikasai

たとえ民主主義でも国家の側は、おのれが顛覆される事態は承認できない。だから示威行動を請願に押しこんで、それを抵抗権から分離しようとする。しかしデモをする民衆側は、おのれの行動を請願から、請願されるべき政府の打倒までを含んだものと見なす。ここには、ヘゲモニー闘争が生じるだろう。

2012-07-02 03:21:31
笠井潔 @kiyoshikasai

政府側と民衆側の、このようなヘゲモニー闘争こそが、固有の意味で「政治」の領域を拓く。選挙に集約される政治など、「政治」の名には値しない。議会内の与野党対立も、やはり「政治」ではない。本源的な「政治」とは、いまある国家体制や憲法秩序の根拠をめぐる闘争だ。

2012-07-02 03:25:11
笠井潔 @kiyoshikasai

あらゆるデモには、こうした意味での本源的な「政治」性が含まれている。今回の反原発デモにしても同じことだ。「デモ=請願」の立場は、再稼働阻止という政治目的を達するための手段として、デモを理解する。

2012-07-02 03:29:27
笠井潔 @kiyoshikasai

もちろん「デモ=請願」論者のように、議会制民主主義の潤滑剤としてデモを理解する余地はある。ただし、今回のデモでも、体験者の少なからぬ者が感じたはずだと思うが、デモという経験には、政治目標を達成するための「手段」という合理的な水準を超えてしまう「なにか」が、かならず含まれている。

2012-07-02 03:31:50
笠井潔 @kiyoshikasai

端的にいえば、数は「暴力」である。たとえ合法的なデモであろうと、何万という群衆がスローガンによって集団を形成するとき、そこには社会的な力(マハト)が生じる。マハトの、ある表現がゲバルト(暴力)だから、デモを合法/非合法、暴力/非暴力に分割することは原理的に不可能だ。

2012-07-02 03:36:22
笠井潔 @kiyoshikasai

あらゆるデモは、すべての国家が、たとえ民主主義国家であろうと「暴力」から生じたという原的な事実を、デモをかけられる国家にたいし、デモに参加しない市民にたいし、むろん誰よりも参加者自身にたいして、あらためて想起させる。だから、さまざまなデモ否定論もツイッターで語られる。

2012-07-02 03:45:49
笠井潔 @kiyoshikasai

あらゆるデモには、それを「手段=請願」に押しとどめるベクトルと、デモ自体が「目的」であり、個別課題を通じて既成の国家秩序や憲法秩序に異議を申し立てようとするベクトルが内在する。だから、デモの内部にもヘゲモニー闘争としての「政治」が生じる。

2012-07-02 03:49:57
笠井潔 @kiyoshikasai

デモをめぐる合法/非合法というテーマは、デモに内在する相反的なベクトルの問題として論じられるべきだろう。デモという経験が成就されるには、二つの立場がヘゲモニー闘争を持続しなければならない。一方があっての他方なのだから、対立する立場の切り捨てはデモの可能性をみずから放棄するものだ。

2012-07-02 03:54:52
笠井潔 @kiyoshikasai

首相官邸をめぐる大規模な合法デモと、大飯現地での非暴力直接行動の二重化というかたちで、これまでのところデモに内在する二つのベクトルは、相互に触発的で発見的な緊張関係を、結果として実現しているように見える。

2012-07-02 03:58:09
笠井潔 @kiyoshikasai

局面が変われば、非合法ベクトルは、デモ隊が警官隊に投石し、催涙弾が乱れ飛ぶという展開になるかもしれない。しかし、これも大衆実力闘争のうちで、デモの論理から原理的に排除することはできない。ただし、いまのところは非暴力直接行動が有効だろう。

2012-07-02 04:02:29
笠井潔 @kiyoshikasai

いうまでもないが、大衆実力闘争と「戦争/軍事」は、まったく次元が違う。連合赤軍や赤い旅団やバーダー・マインホフ・コンプレックスなどによる40年前の敗北の経験は、いまの反原発「過激派」も知っておくべきだろう。

2012-07-02 04:06:21
笠井潔 @kiyoshikasai

まあ、反原発闘争が倒錯的にテロリズム化するところまでは、いまのところ警戒する必要はないと思うが(笑)。

2012-07-02 04:11:42
笠井潔 @kiyoshikasai

民主主義国家でさえ「暴力」から誕生したという端的な事実を、あらゆるデモは参加者の内外に想起させる。どれほど小さなデモであろと。精神析的にいえば、国家誕生の「暴力」というトラウマが、デモによって反復される。

2012-07-02 04:31:22