広島教採塾さん「臆病者に語る資格はない!」についてのツイート。

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レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

さて、今日はちょっと刺激的なツイ―トをしてみましょう(微笑)。 タイトルは、「臆病者に語る資格はない!」です。ほら、刺激的でしょう??(笑)

2012-06-06 13:37:17
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

お話しを話す前提として、まず、一つのことを復習しておきましょう。それは、「想いなき者は語れない」ということです。語るとは想いを表現すること、想いを伝えて、相手の心を動かすことです。語る自分に想いがなければ、もはやスタートラインに立てません。想いがなければ表現も磨けません。

2012-06-06 13:39:08
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

だから、語りたい、相手に伝えたい、相手の心に届けたい想いを持つことが第一です。自己アピールでも志望動機でも、趣味の話でも、アルバイトでも、部活動でも、教師論でも、子ども観でも、あらゆる事項で自分の想い、哲学を持っていなければなりません。これがなくては表現を磨くことはできません。

2012-06-06 13:41:37
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

そうは言っても、ここにはひとつ見落としていることがあります。それは、想いと言葉は独立して存在するものではないということです。思考は言葉を用いて行います。思考は言葉の営みです。ここが感情と思考との違いですね。感情は必ずしも言葉ではありません。何となく不安とか、何となく嫌とか。

2012-06-06 13:43:25
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

でも、思考は言葉を用いて行う活動です。言葉を使わずに思考することはできない。ということは、まず想いがあって、それを言葉にするという言い方は、実は事実に反している。想いが固まれば言葉も固まるということにもなり得る。

2012-06-06 13:45:25
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

実際は、表現を磨きながら、言葉を紡いでいくことによって、自分の想いを確たるものにしていくのです。言い換えるならば、表現を磨くことは、想いを磨くことそのものと言ってもいいのです。想いを見つけるとは、それを表す言葉・表現を見つけることに他ならないのです。

2012-06-06 13:47:06
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

だから、「想いを言葉にできない」というのは実は正確な言い方ではないんですよね。「想いがないから言葉にならない」のだし、「言葉にできていないから、想いが持てない」とも言えます。想いと言葉は表裏一体。言葉を探し、発見し、磨き、紡ぐことは、想いを築き上げることとニアイコールなのです。

2012-06-06 13:49:27
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

だから、自分が満足した文章ができたとき、自分が自信を持って言える語りができたとき、想いが固まるのです。さあ、ここまでが復習です(微笑)。えっ、これが復習?と思った方、ごめんなさい。復習です。ここから、今日のテーマ、「臆病者に語る資格はない!」が始まります。

2012-06-06 13:52:00
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

自分が満足し自信を持っていても、その語りが完璧であるとは限りませんよね。だから、他者の添削や意見を求めたりします。指導教授であったり、上司であったり、先輩であったり、時には友人にコメントを求めることもあるでしょう。その時に臆病者かどうかが決まります。

2012-06-06 13:54:25
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

もちろん、自分自身の語りには謙虚である必要があります。まだまだ未熟だから未経験だから、経験者の助言は謙虚に聞き、学ぶ姿勢が肝要です。でも、添削や助言を全て採り入れてしまい、自分の語りを多くの人のアドバイスのパッチワークにしてはいけません。それでは、あなたの想いにならないからです。

2012-06-06 13:56:57
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

謙虚であることと臆病であることは全く違います。己が未熟であることを自覚し他者から学ぼうという姿勢と、他者の言うことは全て安易に受け入れ全てを自分の語りの中に放り込むというやり方との間には雲泥の差があります。

2012-06-06 14:01:38
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

コメントをもらう度に、アドバイスをもらう度に、添削を受ける度に、自分の語りに新たな項目が加わっていく、助言の方向も加わっていくというごちゃ混ぜ方式のパッチワークでは結局は駄文になるのです。私はこれを「臆病者の駄文」と呼んでいます。

2012-06-06 14:03:56
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

もちろん、「これこそ私が言いたかったこと」とか「なるほど、そういう視点があったのか」、「その表現は私の想いにジャストヒット」という助言やコメントなをもらったのなら、謙虚に採り入れればいいし、その表現や考え方を「盗ませて」いただけば良いのです。

2012-06-06 14:07:36
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

でも、いろんな人に助言を求めて、教授はこう言った、先輩はこう言った、職場の上司はこう言った、友人はこう言った、でそれぞれのアドバイスを全て少しずつつなぎ合わせて自分の語りを作ったりしたらもうアウトです。ダメです。それは想いでも何でもありません。アドバイスのごみ箱みたいなものです。

2012-06-06 14:12:50
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

せっかくもらったアドバイス、わざわざ自分にくれた助言を無駄にしたくないのは分からないでもありません。でも、それを全て自分の語りの中に入れ込んではダメなのです。いただいたアドバイスをいかに厳選し、自分の想いと言葉に活かすのか、いや、いただいたアドバイスをいかに無視するかも重要です。

2012-06-06 14:14:56
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

アドバイスは、必要に応じて活用させていただく、必要がなければこっそりと無視させていただく、これが助言を求める者の心構えです。また、アドバイスする方も、ちょこっと文章や語りを見て聞いて助言するのですから、自分の助言を無理やり採り入れさせようなんて思ってもいません。

2012-06-06 14:19:30
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

自分の想いに自信がなく、自分の言葉に満足していない者、あるいは、本気で想いと言葉を磨いていない者は、すぐアドバイスに飛びつきます。しかも複数人からのアドバイスに飛びつき、それを継ぎ接ぎして、見苦しいパッチワークを作ってしまうのです。想いの臆病者、言葉の臆病者になってしまうのです。

2012-06-06 14:21:40
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

「臆病」という言葉を広辞苑で引くと、「ちょっとした物事にもおそれること。また、そのまま。小心」とあります。ちょっとしたアドバイスで自分の想いや言葉が揺らいでしまうのも「臆病」です。まさしく、「小心」なのです。心が小さいのです。傲慢ではいけませんが、臆病でもダメです。

2012-06-06 14:25:56
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

ちょっとしたアドバイスに心が乱れて、次から次へとアドバイスを求めて、結果として、文章や語りがメチャメチャになった例を数えきれないくらい知っています。アドバイスを求めることは大切ですが、アドバイスを取捨選択する心と眼を持つことがなによりも重要です。

2012-06-06 14:31:18
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

ひとつ具体例を取り上げてみましょう。願書でも小論文でも構いません。あるテーマについてあなたの想いを書いたとします。そして、それを母校や実習校の校長先生に見てもらって助言をもらうとします。すると校長先生は学校経営のプロですから、学校論からの助言をくださるでしょう。(続く)

2012-06-06 14:38:33
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

(続き)学校論に基づくその助言はほぼ100%正しいものでしょう。でも、その助言をそのまま受け入れて文章化すると、学校論としては的確なものとなりますが、あなたのユニークさ、あなたの魅力を表現するものにはならなくなる恐れがあります。教採は合格か不合格かをかけた勝負です。(続く)

2012-06-06 14:41:41
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

(続き)正しい学校論を書くことが目的ではなく、あなたの学校論が他の受験者と比較してユニークで魅力的あって採用したいと思わせることが目的です。この視点がない助言を安易に採り入れることは大きなリスクを伴うのです。

2012-06-06 14:43:56
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

もっと具体的な例で考えてみましょう。例えば、あなたは数学教師志望とします。あなたは2年間留学していたとします。教員になってどんな実践をしたいかという問いに、自分の留学経験を活かして、異文化理解や、異文化交流などを生徒に促すといったことをやりたいという趣旨の文章を書いたとします。

2012-06-06 14:48:49
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

そして、これを母校や実習先の数学科の主任の先生に添削してもらったとします。もしかすると、その先生は、「君は数学の先生になるのだから、もっと数学教育に特化したことを書いた方がいい。」という助言をくださるかもしれません。でも、この助言にただ従うのはリスクを伴います。

2012-06-06 14:50:49
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

数学教師志望者なら、教師になって実践したいことは大多数の人が数学教育や数学指導について書くでしょう。でも、数学教師も担任を持ち、校務を分掌します。学級経営も道徳指導も行いますね。その視点で書く方が、ユニークで魅力的です。

2012-06-06 14:53:17