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malama_leilani
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痛みっていうものを分からせるには痛い目に合うことが必要だ、という理屈に基づいて叩く殴るを容認しようとしていたら、それは全く違う。身体的、心理的暴力いずれも繰り返し受けることにより、それによる痛みは徐々に麻痺していく。
2012-08-11 10:27:12![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
度重なる暴力を受け続けると、受ける痛みを感じないようにする機制が働くのである。その状態、状況が長ければ長いほど、他者が受ける痛みを知ることはできなくなる。いじめ加害者は、どこかで支配的な暴力を振るわれ続けている、またはいたことが多いが、これで一部は説明がつくであろうか。
2012-08-11 10:32:59![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
いじめ加害者の多くは、他者の痛みを分かることについては麻痺しており、支配服従構造の優位性を確保することで強い快感を得ている。それは、自らがそのような経験をどこかで強いられている、もしくはそうされてきたからである。
2012-08-11 10:35:38![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
いじめ加害者の最も強い快感である、支配服従構造を保持するために、加害者は扇動者を準備する。扇動者の主な役割は、仲裁者のブロック、被害者を間接的に貶める根回し、傍観者の監視、である。
2012-08-11 10:38:17![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
教員がいじめの構造に加担している場合、加害者よりもむしろ扇動者に唆されていることが多い。加害者が扇動者に、教員をコントロールするよう指令する。扇動者が口達者なのはそういうこと。
2012-08-11 10:40:34![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「本人も実はいじられてうれしいんすよ!」なんて教員に吹き込むのは、多くはいじめの構造を強化している扇動者である。加害者は、分が悪くなったら扇動者に責任をなすりつける。例えば「俺はやってないよ、あいつがいじっていたんだから、自分で言ってただろ?」というように。実に巧妙な構造なのだ。
2012-08-11 10:44:13![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「もういい加減にしろよ!」と止めようとする仲裁者に、まずは扇動者が立ちはだかる。仲裁者の秘密や噂話を持ち出したりすることが多い。「へえー、あれ、言っちゃっていいんだ?」など。ない場合は勝手に作り上げられる。
2012-08-11 10:48:33![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
いじめは、この巧妙な構造が無くならない限り、絶対に無くなりはしない。だから、一人ひとりがやれることは、ただ、被害者を即座に救済することに尽きるのである。
2012-08-11 10:51:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
この構造を理解していれば、加害者を厳罰に処しても、いじめは無くならないことが理解していただけるだろう。この構造はいつでもどこでも流動的に隠蔽的に構築されるのですから。
2012-08-11 10:53:54