内田樹『街場の読書論』まとめ

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H.Takano @midwhite

哲学でも同じかもしれないけど、小説を読むというのは、別の時代の、別の国の、年齢も性別も宗教も言語も美意識も価値観も違う、別の人間の内側に入り込んで、その人の身体と意識を通じて、未知の世界を経験することだと私は思っている。(内田樹『街場の読書論』2012)

2012-08-04 13:36:50
H.Takano @midwhite

脳の機能は「出力」を基準にしてパフォーマンスを変化させる。書斎にこもって万巻の書を読んでいるが一言も発しない人と、ろくに本を読まないけれどなけなしの知識を使い回してうるさくしゃべり回っている人では、後者の方が脳のパフォーマンスは高いのである。(内田樹『街場の読書論』2012)

2012-08-05 10:08:54
H.Takano @midwhite

この世には「知識」として習得されるためにではなく、「知識を習得するための装置そのものを改変させるため」に読まれる書物が存在する。それが書物の「出力」性であると私は理解している。爾来、私は書物について「出力性」を基準にその価値を考量している。(内田樹『街場の読書論』2012)

2012-08-05 10:15:50
H.Takano @midwhite

知性の切れ味というのは、平たく言えば、「誰かを知的に殺す武器としての性能の高さ」のことである。でも、その性能は、「知的にも、霊的にも、物理的にも、人を損なってはならない」という禁戒とともにあるときに爆発的に向上するのである。(内田樹『街場の読書論』2012)

2012-08-10 21:19:31
H.Takano @midwhite

「大きな物語」に知識人たちがオサラバしたのは今を去る20年ほど前、リオタールが『ポストモダンの条件』でgrand narrativeの弔辞を読み上げた頃のこと。「ポストモダン」という言葉にまだそれほど手垢がついていない時代のことである。(内田樹『街場の読書論』2012)

2012-08-10 21:25:57
H.Takano @midwhite

20世紀フランスの知的エリートたちは「自分たちがフランスの知性の精髄」であり、自分の個人的な営為の成果がそのままフランスの知的威信に直結し、自身の知的達成がそのままフランスの知性の最高水準を決するという壮絶な自負と緊張感を持って仕事をしていた。(内田樹『街場の読書論』2012)

2012-08-10 22:23:31
H.Takano @midwhite

「成熟」というのは、知性的なものであれ、感性的なものであれ、自分がいま手元に持っている「ものさし」では考量できないものがこの世に存在するという自分の「未熟さ」の自覚とともに起動します。それはある種の運動性です。そう僕は理解しています。(内田樹『街場の読書論』2012)

2012-08-11 15:19:52
H.Takano @midwhite

政治体制や信教や言語や文化的差異に関わらず、どこでもいつでも、そういうふうに「真っ当に判断し、真っ当に振る舞う」ことができる成熟した市民の数を一人でも多く確保すること。それがレヴィナス先生の哲学の目的だと僕は思うんです。(内田樹『街場の読書論』2012)

2012-08-12 01:15:02
H.Takano @midwhite

知的、情的、霊的に成熟した市民だけが粛清や強制収容所や「最終的解決」にはっきり「ノー」を告げることができる。この世界の様々な不正、収奪や差別や迫害に対して、「それはフェアじゃない」と言い切ることができる。そのために一歩踏み出すことができる。(内田樹『街場の読書論』2012)

2012-08-12 01:17:08
H.Takano @midwhite

言葉の力とは、思考を適切に表現できる道具としての性能ではない。ある名詞を口にするとそれを修飾できる形容詞のリストが瞬間的に頭に並び、ある副詞を口にするとそれをぴたりと受け止める動詞が続く、というプロセスが無意識的に展開する言語の「自律」である。(内田樹『街場の読書論』2012)

2012-08-12 01:50:43