日米開戦経緯についてのsometime1200氏との雑談、その後のtetteikaikyou氏の解説
@sometime1200 この問題は「パーセプション・ギャップ(認識の相違、両国の間にあった特定の事象に対する解釈の違い。 非常に根が深い問題で、解決するのはかなり困難だと思われます)」の問題とされています。 (続く)
2012-08-14 17:07:00@sometime1200 日米交渉のパーセプション・ギャップの代表的事例としては、満州の扱いが挙げられます。 合衆国側は俗にいうところの所謂「ハル・ノート」で、中国からの撤兵を要求しましたが、日本側はこの「中国」に「満州」も含まれると勝手に解釈しました。 (続く)
2012-08-14 17:09:49@sometime1200 ところが、合衆国側は「満州」については全く言及していないんですね。 少なくとも、「中国」に「満州」が含まれるかどうかを確認すべきでした(須藤眞志著『真珠湾<奇襲>論争』p.70)。
2012-08-14 17:14:25@sometime1200 まあ、ただ、いわゆる「ハル・ノート」には拘束力はありません。ハル国務長官の試案に過ぎません。 それに、日本側は乙案に対する回答がない時点で開戦を決定していたので、「ハル・ノート」が来ようが来るまいが日米開戦は規定路線でした。
2012-08-14 17:17:13@sometime1200 いわゆる「ハル・ノート」がわが国に与えた影響としては、それまで日米戦争回避を主張していた東郷外相を「日米戦争やむなし派」に転向させてしまったこと、つまりは当時の日本の政策決定者を「日米開戦」という1点に一致させる効果がありました。
2012-08-14 17:23:43@krsmnry ああーなんて言うかハル・ノートを日本が宣戦布告と思うだろう。みたいな姿勢だったのでは?それを見越した作戦が無限(ryです。まあ開戦は避けられなかったわけで・・・
2012-08-14 17:32:03@sometime1200 「ハル・ノート」は最後通牒でも宣戦布告でもありませんよ(そういう文言になっていません)? ただ、乙案に対する拒否であったということです。 日本側も「最後通牒」や「宣戦布告」とは認識していません。ただ、乙案で妥結しなかったので、予定通り戦争になりました。
2012-08-14 17:36:40@sometime1200 ただ、「事実上の最後通牒」という表現は(人によっては)時折使われます。 それと、ハル国務長官の意識としては、「ハル・ノート」で交渉が妥結するとは思っていなかったようですね。
2012-08-14 17:38:45@sometime1200 「ハル・ノート」は、本来それ単独でわが国に手交されるはずではありませんでした。 本来なら戦争を3ヶ月先延ばしするための「暫定協定案」と一緒に手渡されるはずでした。 合衆国側は日本とドイツの二正面作戦は避けたかったので・・・
2012-08-14 17:43:16@sometime1200 日本と合衆国の間で遅かれ早かれ戦争になってしまうだろう、ということは合衆国側もある程度は予測していました(ただ、戦場はフィリピンなどの東南アジア方面を予測しており、ハワイでは破壊活動を警戒していました)。 政策決定者により考えに違いはありましたが・・・
2012-08-14 17:47:00@tetteikaikyou @sometime1200 氏と日米開戦経緯関連で議論というか雑談したのですが、私の事実認識で誤っている部分はありますか? 誤りがある場合は、是非、指摘していただきたいのですが・・・
2012-08-14 18:12:30@krsmnry 陸軍省さんの発言ですが、「日本が真珠湾を行って経済制裁。なのか経済制裁があったから真珠湾。なのかどっちが有力ですか?」については時系列から言って、経済制裁があったから真珠湾ですね。あれ(経済制裁)で海軍が「早急に解決しないのなら戦争しかない」となりました。(続く
2012-08-14 18:46:13@krsmnry (続き)ただ、真珠湾の発想自体は経済制裁以前からありました。但し海軍で主流になっていたわけではなく、あの時期山本五十六がGF長官でなければ、実行されなかった可能性が高いと思います。帝国国策遂行要領は、油切れに対する海軍の焦燥が大きな要素を閉めていると思います。
2012-08-14 18:50:28@krsmnry @tetteikaikyou @sometime1200 確かに回答していませんでした。 時系列からいえばあまりに自明なので、うっかりしていました。申し訳ない。
2012-08-14 18:53:30@krsmnry あと満州問題については、感情論に持ち込んでるのは確かですが、どちらかと言うと“正当性”の問題だと思います。日本にとって満州の価値は、対ソ防波堤や余剰人口の吸収先としての価値がありましたが、海軍や財界などは大陸進出に反対でした。(続く)
2012-08-14 19:05:04@krsmnry (続き)佐藤鉄太郎海軍中将はその著書帝国国防史論において、「国防よりも大陸の発展、満州と中国における事業を重視する誤った考えがあるが、国防より侵略に走る事は亡国の原因になる。」と大陸進出に否定的な見解を示し、報道も財界の意図を汲んで大陸進出に反対にまわる。(続く
2012-08-14 19:12:36