「越中万葉の仲間たち」2012年8月

「越中万葉の仲間たち」シリーズ http://togetter.com/li/331140 北日本新聞社出版部(@ecchumanyo_now)のツイートも入れました
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あみたん@高岡大仏の化身 @amitan_takaoka

8月5日(日)は「TR@P × TO2/高岡コスプレすとりーと with あみたん娘」だよっ!みんなの参加まってるよ~^0^ みんなの元気な笑顔が集まれば、ボクは阿弥貴に戻れるかな!? http://t.co/NUOXkbOA

2012-08-01 16:58:39
じょんたん @muffin_john

高岡観光大使あみたん娘っていうのか…。美少女キャラの二人のうち、どっちがあみたんなのかしら。。。

2012-08-03 07:21:55
あみたん@高岡大仏の化身 @amitan_takaoka

@muffin_john 「あみたん娘」はボクたちが登場する作品名です!作品化に向けて頑張って活動してます!よかったら応援してください^0^ #amitanmusume

2012-08-03 12:38:20
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

本企画のご説明は→http://t.co/zLiHwDRx 企画の進め方は→http://t.co/ZBk1OMlw投歌方法は→http://t.co/6vGLoJzq 大伴家持については→http://t.co/ktUYVIGQをご確認ください。

2012-08-01 10:10:35
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

プロローグでは何回かに分けて、この企画の主人公ともいえる、大伴家持〔おおとものやかもち〕が、国守として越中国に赴任するまでの、おおまかな略歴を紹介してゆきます。今日は家持の一家が大宰府を出て以降、奈良の邸宅で詠まれた作品をツイートします。 #家持プロローグ

2012-08-01 10:10:50
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

天平2年(730)、大納言に任じられた旅人は、一族を引き連れ大宰府を離れ、都の近くの佐保の邸で暮らし始めます。しかし翌天平3年(731)7月、惜しまれながらも旅人は病没。それ以後は叔母・坂上郎女が、遺児となった家持兄弟妹の、親代わりになりました。 #家持プロローグ

2012-08-01 10:11:30
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

【きょうの越中万葉*プロローグ】天平2年(730)12月、旅人が大宰府を去る日、見送る人の中に、親しかった遊行女婦〔うかれめ〕の児島〔こしま〕がいました。児島は別れの涙を袖でぬぐって歌を詠み、旅人の歌はそれに和したものです。#ecchumanyo_968 #メモ #締切0901

2012-08-01 10:15:08
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

【きょうの越中万葉*プロローグ】ますらをと思える我や水茎〔みずくき〕の水城〔みずき〕の上に涙〔なみだ〕拭〔のご〕はむ /大伴旅人  #ecchumanyo_968 #締切0901

2012-08-01 10:15:23
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

【きょうの越中万葉*プロローグ】妹〔いも〕として二人作りし我が山斎〔しま〕は小高く繁くなりにけるかも /大伴旅人  #ecchumanyo_452 #締切0901

2012-08-01 10:16:32
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

【きょうの越中万葉*プロローグ】かくのみにありけるものを萩の花咲きてありやと問ひし君はも /余明軍 #ecchumanyo_455 #締切0901

2012-08-01 10:20:26
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

【きょうの越中万葉*プロローグ】旅人は天平3年7月の初秋に亡くなります。作者の余明軍は旅人に仕えた渡来歌人で、萩が咲いたかを尋ねた旅人を思い出しています。「かくのみにありけるものを」は「こうなる運命でしかなかったのか」の意。 #ecchumanyo_455 #メモ #締切0901

2012-08-01 10:20:30
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

【きょうの越中万葉*プロローグ】詞書=大伴坂上郎女の歌一首 /世の常に聞けば苦しき呼子鳥〔よぶこどり〕声なつかしき時にはなりぬ /坂上郎女/右の一首、天平四年三月一日に、佐保の宅〔いへ〕にして作る #ecchumanyo_1447 #締切0901

2012-08-01 10:21:25
家持くん@高岡市万葉歴史館(公式) @manreki

柿本人麻呂が歌にもよんだハマユウの花。講座の受講者の方が持ってきてくださったもので、玄関にあります。 南国的な夏を感じますね。RT @oiratsume: 浜木綿が咲きました。 http://t.co/zxnKO0nG

2012-08-02 10:09:13
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

プロローグでは何回かに分けて、この企画の主人公ともいえる、大伴家持〔おおとものやかもち〕が、国守として越中国に赴任するまでの、おおまかな略歴を紹介してゆきます。本日は若き日の大伴家持の歌を中心におおくりします。 #家持プロローグ

2012-08-02 18:11:29
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

大宰府から奈良の佐保に移り暮らしていた家持は、叔母である坂上郎女に作歌の指導を受けたとされています。若き日に、たくさんの男性と、多くの歌を交わし合った坂上郎女ですが、甥の家持と交わした歌も、恋人同士のやり取りのように詠まれています。 #家持プロローグ

2012-08-02 18:11:40
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

家持は成長して朝廷に仕えます。天平10年(738)の、橘奈良麻呂の宴での家持の肩書は「内舎人〔うどねり〕」でした。内舎人とは、天皇の護衛や雑役などに奉仕する仕事で、有力貴族の子弟でも特にエリートだけが任命されます。若い娘たちからも熱い視線が注がれたでしょう。 #家持プロローグ

2012-08-02 18:12:48
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

【きょうの越中万葉*プロローグ】月立ちてただ三日月の眉根〔まよね〕掻〔か〕き日〔け〕長く恋ひし君に逢へるかも /坂上郎女 (メモはありません)#ecchumanyo_993 #締切0902

2012-08-02 18:13:49
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

【きょうの越中万葉*プロローグ】振り放けて三日月見れば一目見し人の眉引〔まよび〕き思ほゆるかも/大伴家持 (メモはありません) #ecchumanyo_994 #締切0902

2012-08-02 18:14:21
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

【きょうの越中万葉*プロローグ】もみぢ葉の過ぎまく惜しみ思ふどち遊ぶ今夜は明けずもあらぬか/大伴家持《左注=右の一首、内舎人大伴宿袮家持》 (メモあります) #ecchumanyo_1591 #締切0902

2012-08-02 18:14:50
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

【きょうの越中万葉*プロローグ】千鳥鳴く佐保の川門の清き瀬を馬打ち渡しいつか通はむ/大伴家持 《詞書=大伴宿袮家持、娘子に贈る歌七首(そのうちの1首です)》 (メモはありません) #ecchumanyo_715 #締切0902

2012-08-02 18:16:43
北日本新聞社出版部 @bookskitanippon

家持の正妻は坂上大嬢〔さかのうえのおおをとめ(またはおおいらつめ)〕です。彼女は、叔父・大伴宿奈麻呂〔おおとものすくなまろ〕、叔母・坂上郎女の間の長女で、家持には従妹にあたります。当時は一夫多妻制で、家持には大嬢との結婚の前に、若くして亡くなった側妻がいました。 #家持プロローグ

2012-08-03 11:34:48
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