渡邊先生と後藤先生の会話 心理学における「心と行動の問題」

このまとめは以下のまとめに続きます。 渡邊先生と後藤先生の会話 「心とは機構なのかコンテンツなのか」 http://togetter.com/li/361472
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渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena そして「心と行動の問題」についても「専門の勉強をしていなくてもわかる人にはわかる時代」は20世紀の半ばには終わってしまったわけです。そしてその大きな境目は心理学の進歩よりむしろ分析哲学による「心や行動についての日常言語の分析」です。

2012-08-21 01:40:35
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 余暇としてそういうことをすることはとてもすばらしいことだと思いますよ。アマチュア科学を推奨します。専門家では見過ごしてしまう「こと」を発見する可能性がある、ということです。生物学だとまだまだマクロレベルでの現象でも未知が無尽蔵にある。

2012-08-21 01:41:58
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena まさにそういうことで,先生が自分や他人の心や行動について考えるのも「余暇としてそういうことをすることはとてもすばらしいこと」なわけですし,もちろんそこから専門家がヒントを得ることもありますが,それと現代の「心と行動についての学問」とは違うものです。

2012-08-21 01:43:56
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 ただ、こころの内省は余暇ではないです。

2012-08-21 01:45:28
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 で、様々な学説の対立、というのはないのですか?

2012-08-21 01:46:55
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 「個人の内省」と「心や行動についての事実」は別のものです。「自分はこれこれこういう理由でこう考えた」「自分はこのように考えて行動している」という「内省」は「思考や行動の実際の原因」と一致することもあればしない場合もあります。

2012-08-21 01:47:03
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 内省や「意識」についてはそれはそれについて専門的に研究している分野があります。しかしそのテーマは「環境と生体の相互作用の結果としてそのような内省生じる仕組み」です。

2012-08-21 01:48:18
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 「心や行動について人々が考えていること」が本質的に「言語の問題」で,そこで用いられているさまざまな概念が「それ自体は実体を持たない,他のものについての言語的表現である」という基本的な考えについての「論争」は50年くらい前に終わっています。

2012-08-21 01:50:55
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena ヴィトゲンシュタインという天才と,それに続いた分析哲学の人々によってそのへんの問題は1960年代くらいまでにおおよそ片づけられています。

2012-08-21 01:51:40
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 「全く同じ」ということには同意しますが、僕の問題提起には答えていないですよね?

2012-08-21 01:52:42
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena ですから,先生の「問題提起」自体が「現在の心と行動についての学問」が考えるテーマではないわけです。先生もご自分の研究を考えればわかると思いますが,学問の中核にあるのは「なにを問題にするか」ということです。(続く)

2012-08-21 01:55:03
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 繰り返しますが「心と行動の問題」については20世紀半ばまでに「素人が考えるべき問題だと思うこと」と「専門家が考えるべき問題だと思っていること」がまったく違うことになったわけです。そうしたことは心や行動の問題に限らずいろんな分野で起きていますよね。

2012-08-21 01:56:29
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 それが分析哲学の貢献で、それ以降の「すべての」心理学はその命題をノームとしてすすめられてきた、という理解でOK?で、それに対立する学説、学派は一つもない、ということでOK?

2012-08-21 01:56:58
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 なるほど、対象が全く分離した、ということね。とすると、僕の(心理学を問題にしていない)TWに心理学者としてのコメントをした理由は何なのかな?

2012-08-21 02:00:12
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena そうそうこういうことを思い出した。私が畜大で最初に卒論を指導した学生は突然私のところに来て「畜大ではどの研究室に行ってもウマの研究ができない,ウマの研究をしたい」みたいなことを言ったわけです。(続く)

2012-08-21 01:58:59
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 「私が研究したいのはウマの生殖とかウマの骨格とかにバラバラにされたウマじゃなくて,目の前にいる一匹のウマなんです」というわけです。つまり「要素に還元されたウマでなくホーリスティックなウマ自体について研究したい」というわけ。

2012-08-21 02:00:48
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena これは心理学に限らず現代の「人間の心や行動を問題にする学問」に共通した姿勢です。少なくとも心とか精神とか欲求などの「心的概念」をそれと対応した実体のあるものと考える人はまともな学者にはいないです。

2012-08-21 02:03:03
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena とくに心や行動についての研究をなんらかの意味で「科学的」に行なおうとする人はまったく例外なくそうです。先生の印象とは逆に,心や行動の学問は「科学をめざす」ために「素人の常識」から離れたわけです。

2012-08-21 02:04:16
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena そりゃあもちろん親切心ですよ。いちおう学者として飯を食っている人が専門外の問題とはいえ一般人とまったく同じことを公的に言っていたら一言いいたくなりますw。

2012-08-21 02:05:28
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena それでウマの話に戻るんですけど,自然科学の還元主義というのは時としてそういう「素人の生命観」とは対立するわけですよね。でもそれはしかたないわけで,還元することで科学は自然や生命の仕組みをここまで解明することができたわけです。

2012-08-21 02:07:16
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 いや、だから、もうそれは心理学の問題ではなかったのではないかな?

2012-08-21 02:08:01
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena それで私がその学生に言ったのは「一頭の馬全体を研究する,ということは自然科学では,それも卒論ではいまは難しい。でもウマを要素としてでなく一頭の動物と見ている人々についての研究はできる」ということです。

2012-08-21 02:09:26
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena それでその学生は障害者乗馬にやってくる子供たちとその親の生活にウマがどういう意味を持っているかの研究をしました。これが私が畜大で最初に指導した卒論。

2012-08-21 02:10:09
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 心理学者としては「みなさんが人の心や行動の問題だと思って考えていることの大半は心や行動の問題ではありません」ということは言わなければならないです。

2012-08-21 02:11:31