全文初めて読んだ。笑 示唆に富むね~ RT @tHiraoka 連帯についてはまだ考えを深められていない!当事者の論理は強力だけど限界があるなぁ、じゃあどのように乗り越えられるのだろう、という問いにたどり着いたところ。でもたとえば村上春樹の「壁と卵」の話は手がかりかもと感じる。
2010-07-15 20:04:56@k_eguchi うーーーん。そこが考え方に一番差があるところな気がする(笑)。こだわるようだけど、その2つは分けて考えたいのです、ぼくは。「超長期的に見たときに交わるのかも」って、今は当事者でなくても将来自分の生活にも脅威が及ぶ可能性があるからって意味だよね。(続く)
2010-07-16 00:45:57@k_eguchi (承前)その論理では、将来にわたって絶対に自分に害を受けることがないとわかっている問題なら無視してもよい、ということにならないかな。考えすぎ?たとえば今の五十代以上の人たちの気候変動問題への感情ってそんなところかも。自分の生きている間は大丈夫、みたいな。
2010-07-16 00:52:21@k_eguchi もちろん「あなたたちにも気候変動との接点はあります!あなたたちも当事者!」と言うことはできるけど「そんなの知らない」って言われてしまったらそこで終わり。そうじゃなくて、もっと公平さとか正義とかを基準にした倫理を築くほうが説得力を持つのではないだろうか。
2010-07-16 00:57:38うーん、なんて表現してよいか分からない。笑 確かにここに差がある気がする。 RT @tHiraoka うーーーん。そこが考え方に一番差があるところな気がする(笑)。こだわるようだけど、その2つは分けて考えたいのです、ぼくは。「超長期的に見たときに交わるのかも」って、今は当事者でな
2010-07-16 14:30:21@tHiraoka 「超長期的に見たときに交わる」なんて気軽に使ってしまっているけど、それは30年とか50年とか100年とかって話ではなくて、本質的な差が見えない、ということなんだろうと。政治的責任と身に降りかかる影響が必ずしも一致はしていないというのもそうなのだが。
2010-07-16 14:37:29@k_eguchi いまさら返信してみるw 重ねて主張するけど、いみじくもえぐっちゃん自身、本質的な差が「ない」ではなく「見えない」と言っているように、他人の当事者性と自分の当事者性が連続して見えるか、別々に見えるかは人次第。どっちが正しいということはないんだと思う。
2010-07-17 20:15:55@k_eguchi 「当事者性を拡大しようよ!」「自分ごとにしようよ!」って言うんじゃなくて「当事者じゃなくても、当事者にならなくても、なんとかしようよ!」って言える方が、爆発力は弱くても、より幅が広く懐が深い論理/倫理ではないかと。
2010-07-17 20:22:13@tHiraoka 「自分ごとにしようよ!」じゃなくて「当事者じゃなくても、当事者にならなくても、なんとかしようよ!」の方がより大衆向けというか、現実的な一般への広げ方なのかなーという気はします。
2010-07-18 00:43:20@k_eguchi なるほど。A SEEDは自分ごとにすることを目指すってことですね!(笑)ちなみに、自分ごとにしよう!って言う方がより一般的だと思います。それが実行できている人は多くないだろうけど。
2010-07-18 00:49:37@tHiraoka 自分は祝島に行って、現地のおばあちゃんと話した時に「自分も当事者かも」って思ったんだよね。毎日電気を使っており、日本国民であり。傲慢であり、自己満足かもしれないけどね。祝島について具体的なアクションに踏み出せていないので、偉そうなことは全く言えないのですが。
2010-07-18 00:51:14目指すというか、そういう文化はある気がする。 RT @tHiraoka なるほど。A SEEDは自分ごとにすることを目指すってことですね!(笑)ちなみに、自分ごとにしよう!って言う方がより一般的だと思います。それが実行できている人は多くないだろうけど。
2010-07-18 00:59:39@k_eguchi そこは同意なんです。ただね、最大限当事者「に寄り添う」ことと、当事者「である」ことは違うだろうと。祝島のおばあちゃんの当事者性(自分の島に原発を作られる)とえぐっちゃんの当事者性(電気を使っている、原発を作る政府を選んでいる)というのはまったく別でしょう。
2010-07-18 01:17:29@k_eguchi 当事者性の連続だけを見て断絶を見ないのは、祝島のおばあちゃんに対してやっぱり傲慢なのではないか?(と煽ってみるよ!w)
2010-07-18 01:20:05単なる言葉遣いの問題なのかもしれないけど、「寄り添う」と同じくらい「向き合う」が大切なのだと思う。これは半分、佐々木浩平の受け売りだけど。
2010-07-18 01:24:25@tHiraoka たしかにたしかに、分かります。むしろ今更ながら・・・当事者、当事者性という言葉において、自分はかなりあいまいにとらえている部分があり、そこが大きく違う点では。
2010-07-18 01:45:16@k_eguchi ぼくはここ2年くらい「当事者」という言葉にずうっとひっかかっていて、最初はえぐっちゃんのtweetにも半ば反射的に反応したんだけど、結果としてとても有意義な議論ができて嬉しかったです。(続く)
2010-07-18 02:14:47