.@takuma_zumi アメリカ合衆国の臓器移植法について #medical
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田村:本来的に自由意思を優先するならば、延命中止がすぐに実行さらなければならないし、改定法も事前指示と臓器提供の問題は区別されるべきとしている。
2010-07-18 06:50:05田村:しかし、改定法に従うと臓器移植を見越し、ひとまず延命措置は続けられる。また、そこで管理するのは、移植摘出を前提としたスタッフである。改定法が前提としているのは、末期状態の人は臓器提供を優先するだろうたいうことである。
2010-07-18 06:52:58田村:臓器提供を望むだろうという推定は、多様な価値観を認めようとする自由な社会にそぐわないという批判もあり、利他主義でなく功利主義へ移行し、臓器提供を義務化する方向になるのではないかなど、個人の自由意思を尊重すべきという立場からの批判がなされている。
2010-07-18 06:57:16田村:アメリカもopt-in方式とされているが、日本で言うところの自由意思の尊重とは異なる。日本ではコーディネーターはあくまで臓器提供に関する情報を提供し、意思決定の支援をする中立的立場でいることが望まれる。コーディネーターが臓器提供を呼びかければ、自由意思とはみなされない。
2010-07-18 07:01:56田村:ところがアメリカでは、医療関係者による積極的な臓器提供要請が行われている。これに対し要請を断ることができるという点で自由意思の尊重を主張している。だが、これまで見てきたように法が承認するのは、強い臓器提供の要求であり、自由意思の積極的保障ではない。
2010-07-18 07:06:21田村:アメリカの臓器提供は利他主義を望むはずだという前提をもつopt-out方式と言える。ただ、「自発的な利他主義」を推定する点で、フランス等のように遺体を公のものと捉え、公のために役立てることを良しとする考えによる「推定同意」と同一思想基盤かどうかは、検討課題である。
2010-07-18 07:12:08私見:「Donation after Cardiac Death」より「Non-heartbeating-organ donor」の方が正確というのは「death」という絶対的な客観的事実を帯びているかのような言い回しをすることにより、エゴイスティックさを隠蔽しているからなのかな
2010-07-18 07:19:09私見:「Donation after Cardiac Death」より「Non-heartbeating-organ donor」の方が正確というのは「death」という絶対的な客観的事実を帯びているかのような言い回しをすることにより、エゴイスティックさを隠蔽しているからなのかな
2010-07-18 07:19:09「とりあえず心臓止まったんで移植しちゃいますねー」より「この方は既に死亡されました。臓器移植準備にとりかかります」って言われたら何もできないもん。NHBDの方がやらしいけど、事実を正確に捉えられてる言葉な気はする。
2010-07-18 07:24:49