ベラルーシの避難基準の変遷
- leaf_parsley
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@leaf_parsley @iina_kobe とりあえず、午前中に聞かれたチェルノブイリの避難基準の話、ベラルーシの分がまとまったですが、ツイートしますか?
2012-08-28 17:04:29@leaf_parsley @iina_kobe 参照資料は、SAGEの時のベラルーシ報告(Gdoc) https://t.co/moCeZydZ と、1998年のベラルーシ緊急省の報告書です(PDF) http://t.co/aa4LrJTS
2012-08-28 17:09:39@leaf_parsley @iina_kobe 1986年 4月26日 チェルノブイリ事故 プリピャチ市内(0.14~1.4mSv/h) 夜にはさらに上昇(1.8~6mSv/h) 4月27日 プリピャチ市避難 プリピャチ市内(3.6~5.4mSv/h)
2012-08-28 17:10:37@leaf_parsley @iina_kobe 4月27日 4万4千660人が避難 4月28日 発電所半径10K圏が避難 ⇒ここまでは10K圏なのでウクライナ
2012-08-28 17:11:27@leaf_parsley @iina_kobe ⇒ここからはベラルーシ 4月29日ベラルーシ科学院原子力学会から半径100k圏内の移住と、全国民へのヨウ素予防措置の案が提出⇒却下。 30K圏内の避難を指示(避難基準は生涯線量で350mSv)
2012-08-28 17:11:59@leaf_parsley @iina_kobe 5月2日 30K圏内の住人にヨウ素予防処置と移住開始。ヨウ素予防処置を施されたのは、モギリョフ、ゴメル、ブレスト、ミンクス州の中の17万人。
2012-08-28 17:12:23@leaf_parsley @iina_kobe 5月2日~7日の避難 避難町村50 避難者数11035人 平均甲状腺等価線量(ヨウ素131 1.33Gy) セシウム内部被曝2.1mSv 外部被曝31.2mSv
2012-08-28 17:12:50@leaf_parsley @iina_kobe 1986年5月末 最初の土壌汚染マップ完成 6月5日~10日 ベラルーシ南部の原発から50~70K地域の住民が移住 (目安となった移住基準は350μSv/h)
2012-08-28 17:13:12@leaf_parsley @iina_kobe 1986年6月の避難 避難対象町村28 避難者数6017人 甲状腺等価線量1.04Gy セシウム内部被曝1.6mSv 外部被曝15.9mSv
2012-08-28 17:13:31@leaf_parsley @iina_kobe 1986年8月~9月の避難 避難対象町村29 避難者数7327人 甲状腺等価線量0.66Gy 内部被曝0.9mSv 外部被曝20,3mSv
2012-08-28 17:13:44@leaf_parsley @iina_kobe 合計で、一年以内に107以上の最も影響を受けた集落から24700人が避難。
2012-08-28 17:14:10@leaf_parsley @iina_kobe 1987年7月1日、ソ連政府は-公衆衛生省の助言に基づき-次のような年間被曝量分布(mSv)で生涯被曝量を約500 mSvに設定可能だと宣言。
2012-08-28 17:14:38@leaf_parsley @iina_kobe (事故後25年間で250 mSv: 内訳は30; 30; 25; 20; 20; 15; 15; 10; 10; 10、そしてその後事故後70年目まで5 mSv/年)
2012-08-28 17:14:54@leaf_parsley @iina_kobe 汚染された地域での4年の期間(44カ月)の最大総被曝量は175ミリシーベルトまでとされた。 3つの放射能汚染ゾーンが指定。
2012-08-28 17:15:11@leaf_parsley @iina_kobe 1、永久移住ゾーン:事故後15日間での最小空間線量が20 mR/h (0,2 mGy/h)以上の地域 年間線量が0,1 Gyを超えた場合、この地域から移住
2012-08-28 17:15:28@leaf_parsley @iina_kobe 2、一時的避難区域:空間線量が下がれば戻って良い地域。5-20 mR/h(0.05~0.2mGy/h)以内
2012-08-28 17:15:42@leaf_parsley @iina_kobe 3、管理区域: 2 to 5 mR/h (0,02-0,05 mGy/h)子ども達と妊婦が一時的に2.3か月避難
2012-08-28 17:15:55@leaf_parsley @iina_kobe したがって初期には20μSv/h以下の区域の避難はありません。 その後1990年~1997年にかけて、再定住計画が実行され、13万人あまりが再定住。
2012-08-28 17:16:08@leaf_parsley @iina_kobe 1989年 ベラルーシの科学院は生涯被曝量として、より低い70mSvを提案。(汚染地域での安全に生活する提案; 1989年にベラルーシ共和国の諮問委員会により承認)。
2012-08-28 17:16:30@leaf_parsley @iina_kobe 1991年には、ベラルーシ共和国で3つの法律が採択され、 自然背景放射線による被曝を除く年間最大被曝許容量を1 mSvに修正。段階的に達成することを提案:
2012-08-28 17:17:33@leaf_parsley @iina_kobe 1991年の5 mSv/y; 1993年の3 mSv/y; 1995年の2 mSv/y; 1998年の1 mSv/y。
2012-08-28 17:18:21@leaf_parsley @iina_kobe 2001年5月17日、ベラルーシ共和国法「チェルノブイリ原発事故で影響を受けた市民の社会防護に関する法令」更新
2012-08-28 17:19:32@leaf_parsley @iina_kobe 「評価指標として、人口の生活環境および労働条件が制限されない環境では、年間被曝量は、自然と人間が引き起こす背景放射線量より1 mSvを超えてはならない 。」
2012-08-28 17:19:48@leaf_parsley @iina_kobe • 平均被曝量が自然/人工背景放射線よりも1 mSv以上高い場合、防護措置をとらねばならない。
2012-08-28 17:21:29@leaf_parsley @iina_kobe 避難基準そのものは、1991年の避難基準がそのまま生きていて、5mSv/y以上が移住。1~5mSv/yが移住権利です。ですが、この基準はあくまで1991年時点のもので、同じ地区でも1987年には、数倍になっていたろうと思います。
2012-08-28 17:31:28