- yusuke_koshima
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おはようございます。さて、今日は内田樹先生の集中講義「みんなの現代霊性論」にお邪魔させていただきます。 http://t.co/PoflekNK
2012-08-29 08:58:23先日もつぶやきましたが、ルネ・ジラールは「人間がそれを制御できると思い込めば思い込むほど、それだけ逆に人間を制圧する一切のもの」のことをさして「聖なるもの」と呼びました。
2012-08-29 08:58:37これは内田先生のおっしゃる「社会の霊的再生」ということと繋がってくるかと思うのですが、「聖なるものに開かれた知性」ということについて、僕は最近はずっと考えています。
2012-08-29 08:58:49紀元前六世紀に、著作を一切残さず、いまでも多くの謎に包まれているピタゴラスという偉大な思想家が、サモス島に生まれました。彼の生まれたサモスは、タレスを生んだミレトスから海峡をひとつ隔てた場所にあります。
2012-08-29 08:59:09「万物の根源は水である」という言葉で有名なタレスは、自然哲学の父とも言われますが、世界ではじめて「証明」ということをした人だ、とも言われています。
2012-08-29 08:59:19そのタレスが証明したと言われているのが「円に直径をひくと面積が二等分される」という命題です。直感的には明らかで、すでに経験的にはよく知られていたであろうこの事実を「論証」しなければならない、と考えたのがタレスでした。
2012-08-29 08:59:40信念に対してそれを支える根拠を求める「根拠に対する強い執着」がその後の西洋思想のあり方を特徴付けていくわけですが、そうした精神の傾向の萌芽を、タレスのこの行為は象徴していると言えるかもしれません。
2012-08-29 08:59:58そんなタレスとおそらく直接交渉があっただろうと考えられているピタゴラスの、ピタゴラス教団の中心的な思想は、魂の輪廻と、その輪廻を断ち切るための実践と理論の探求にありました。
2012-08-29 09:00:35ちょうどピタゴラスと同じ頃、インドに生を受けたと言われているのが、ゴータマ・ブッダでした。奇しくも、ブッダが取り組んだのも、まさしく輪廻の問題と、苦(dukkha)たる輪廻からの離脱、ということでした。
2012-08-29 09:01:00ブッダは輪廻の円環を詳細に分析し、輪廻を支える十二の因縁に辿り着きました。まず根本には「無明」がある。これは無始の、始原の無知です。この「無明」から逃れられないからこそ、私たちが根本的に無知であるからこそ、無名の闇に意思作用(行)が立ち上がる。
2012-08-29 09:01:15そこにはやがて意識(識)と心身(名色)がおこり、そこに宿った六つの感覚器官(六処)が接触(触)を通して感覚作用(受)を生む。その感覚作用はやがて、快を求め、不快を避けようという渇望(愛)を引き起こします。その愛(渇望)はやがて取(執着)となる。
2012-08-29 09:01:39ブッダは輪廻の円環を詳細に分析するなかで、この愛から取への移行は、断ち切ることができるのではないかと、悟ったのだと思います。渇望から執着へのステップを断ち切るために「端的に行為としてある」ということ。それが「三昧」ということでした。
2012-08-29 09:02:28輪廻という問題に取り組み、輪廻の苦の根底にある「根拠への執着」ということにまで辿り着いたという点では、同じ時代を生きたピタゴラスとブッダの思想に、何か通底する問題意識のようなものを見出すことができるかもしれません。
2012-08-29 09:02:46しかし、興味深いのは「根拠の不在」という事態に対し、西洋思想が「根拠の建設」へと向い、仏教の思想が「無根拠へと生を開いていく」という方向へ向かっていったことではないかと思います。
2012-08-29 09:03:11あらゆる現象は根本的に無根拠(空)である。なぜならば、すべては互いに関係しあっており、互いに依存しあっている(縁起)からである、と。そして無根拠へともう一歩踏み込み、無根拠の方に生を開いていく。
2012-08-29 09:03:49一方、ピタゴラスはどうだったか。ピタゴラスは謎に包まれた人物ですから、確かなことは言えないのですが、ピタゴラスは若い頃、おそらくメンフィスで何年かを過ごしたであろう、と言われています。
2012-08-29 09:04:30そのメンフィスで当時信仰されていたのが「プタハ神」と呼ばれる創造神です。この創造神プタハは、職人や芸術家の守護神としても信仰された「媒介する神様」でした。創造者の心の世界と物理世界を媒介する神、というわけです。
2012-08-29 09:06:45この「創造を媒介する神」というのは、その後の宗教思想に相当大きな影響を与えたようですが、ピタゴラス自身もメンフィスで数年を過ごし、そこでこの「プタハ神」の信仰に影響を受けていた可能性があります。
2012-08-29 09:12:21僕の解釈では、ピタゴラスの思想の根底にあったのが「媒介としての数」という着想でした。ピタゴラスは言いました、「万物には数がある。なぜなら、いかなるものも数なしには、考えたり知ったりできないからだ」と。
2012-08-29 09:12:34私たちは圧倒的な未知の中に投げ出されている。しかし、その圧倒的な未知と私たちをぎりぎりのところで媒介しているもの。それこそが「数」である。そうピタゴラスは考えたのではないでしょうか。
2012-08-29 09:17:54数そのものが世界である、というのではなく、未知と知性を媒介するものが数である。このような洞察が「数学」ということの起源にあるのだとしたら、その起源にいまいちど立ち返ってみるところから、あらためて数学ということを考えなおしてみたい、と僕は考えています。
2012-08-29 09:18:16計算というひとつの原理に自然を回収し、自然を制御したり制圧したりしようとするのではなく、計算という原理に回収されない自然の知性を、計算を媒介として接続していくということ。そこに新たな、もっと大きな制約の中の知性を立ち上げていくということ。
2012-08-29 09:21:04世界中を闊歩し、海底から宇宙まで活動領域を広げ、地球上のあらゆる自然現象と交渉をする潜在性をもった人間が、その力を制御と制圧の方へ向けるのか、あるいは媒介の方へと向けるのか。僕は後者の方へと向かうことにこそ、「人間存在の尊厳を再認識」する道が開かれる可能性があると思っています。
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