あざーす!!m(_ _)m RT @akita_kia: @masahiroitosugi ツイッターで何度か書いてますが、高畑・宮崎、京アニ、よつばと、あと糸杉先生のマンガ(他にも何人かいらっしゃいますが)は、画面演出的に、似たものを目指していると思っています。
2012-09-02 17:05:09おおおお RT @kuzusiro: @masahiroitosugi 手で動かしている動画 http://t.co/o8jMcKZd!
2012-09-02 21:47:48んーと、まず大前提として、「レイアウト」「視点」という話から例のツイートに至ったわけですが、レイアウトとは大きく分けて3つに分けられます。
2012-09-02 23:03:57「遠景」「近景」「中景」の3つです。遠景とは文字通りその場所を説明するためのレイアウト。近景は文字通りアップ。キャラの表情ですね。中景とは、キャラを含む風景です。
2012-09-02 23:05:39この3つのレイアウトは映像を構成する上で最も分かりやすく誰でも理解できるものですね。しかしここでもうひとつの要素を足してみます。それが「視点」です。
2012-09-02 23:07:39あ、一応もうひとつの前提として、漫画も先行する映像作品の模倣から出立しているということをお忘れなく。だから、これは映像論でもあり、マンガ論でもある。ただし、すべてのマンガについて当てはまる理論ではないということ。これは注意していただきたい。
2012-09-02 23:08:57話を戻すと、3つのレイアウトに「視点」を加えます。「視点」にはまたもや3つあります。「読者(視聴者)視点」「キャラ視点」「神視点」の3つです。
2012-09-02 23:10:13「読者視点」とは、読者が客観的にそのシーンを見たい(描く側としては見せたい)時に多用します。「キャラ視点」は、感情表現に使われることが多いです。表情ですから。「神視点」は文字通り神なので、誰の視点でもない視点です。主に抜きカットなどに使われます。
2012-09-02 23:12:05あ、読み返してたら間違いがあった。「読者視点」とは、読者が客観的にそのシーンを見たい(描く側としては見せたい)時に多用します。「キャラ視点」は、感情表現に使われることが多いです。表情ですから。「神視点」は文字通り神なので、誰の視点でもない視点です。主に抜きカットなどに使われます。
2012-09-03 00:17:45あ、そうか。前提が間違ってたな。「近景」がキャラのアップだから、「表情」を見せたい時。「読者視点」は読者に説明するのに有効なレイアウト。「キャラ視点」は単純にキャラから見た視点。ただそれだけの話しだった。ごめんね。行ったり来たりで。
2012-09-03 00:25:47で、前者3つのレイアウトを3つの視点に分割していくと3✕3の9つのレイアウトしかこの世に存在しないことになります。これをどう組み合わせるか、というのが映像作りの基本の基本なわけです。
2012-09-02 23:13:53で、主に「面倒くさい」という理由で「近景」を多用するのが普通です。読者が見たいのは、描き手が見せたいのはキャラの「表情」であって、それ以外はただの背景だから、というのがその主な理由です。
2012-09-02 23:15:39いくつか理由はあるのでしょうが、「描く」ということに異常なほど執着しているからだと思います。ちょっとこの辺掘り下げます。
2012-09-02 23:17:59「よつばと!」で、私がまず気づいたのは「モノローグがない」ということです。正確には3巻辺りから「消えた」「消した」。これには意図があるのではないかと思ったのです。
2012-09-02 23:18:51「モノローグ」といいうのはですね、麻薬なんですよ。楽をするための。キャラのアップと表情を描いて、「うんだらら~」とモノローグを書けば、それなりにマンガは成立する。それで、何の支障もないのです。だけど、あずま先生はそれを敢えて「取り払った」。
2012-09-02 23:20:23キャラクターというのは、「モノローグ」が無ければ成立しないのか?というのが私がずっと抱えていた疑問であり、その答えが「よつばと!」にはあるのです。
2012-09-02 23:22:53キャラクターは、「ある状況に放り込めば、そのように行動する(発言する)」というもの、というのが結論。よつばとふーかが絡めばよつばはこう行動するし、やんだが来たらよつばはこうなる。それは、「説明的」ではなく、培うことで、積み重ねることで作り上げられた「キャラクター」なのです。
2012-09-02 23:24:49