イザヤ・ベンダサンbotまとめ【「日本人とユダヤ人」あとがき――末期の一票】/互いに交われば相互理解できると勘違いしている日本人

イザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』/あとがき――末期の一票/255頁以降より抜粋引用。
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イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

1】昨秋また来日して、例によって本屋の棚をのぞくと、ヨーロッパ見聞録といった本がずらりと並んでいるのに驚いた。マルコ・ポーロの『東方見聞録』以来「見聞録に誤りなし」であろう。「私はかく見、かく聞いた」という事実には誤りはあるまい。<『日本人とユダヤ人』

2012-09-10 18:58:50
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

2】しかしいかに「如是我聞」と唱えても、耳鳴りがしていては致し方ないし「百聞一見にしかず」が事実であっても、色盲では世界はまた別に見えるであろう。

2012-09-10 19:58:51
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

3】どこの国の人間でも、多少の色盲と耳鳴はもっており、従ってこういう本は、その国民の「色盲検査用紙」のような役割を果たすという点では、まことに貴重な本といえる。

2012-09-10 20:58:50
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

4】これら全ての『西方見聞録』に共通した点は、現実はこうであった。私はそれを自分の目で確かに見たのだから、間違いない。「異論の余地はない」という主張もしくは言い方である。

2012-09-10 21:58:51
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

5】どこの国でも現実の背後に「たてまえ」がおり、その「たてまえ」と「現実」とには誤差がある。従って現実が同じでも「たてまえ」の方向は全く逆で、「現実」を「たてまえ」に近づけていけば、日本と全く正反対になる場合もあって不思議ではない。

2012-09-10 22:58:53
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

6】ハムレットの最後のせりふは「余もまた末期の一票を投じよう」である。王制では父が死ねば子が位を継ぐ、これが当時の現実である。しかし「たてまえ」としては、あくまでも王は選挙で選出されたのであるから、あのせりふが出てくる。

2012-09-10 23:58:54
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

7】一方、日本では逆で、秀吉はあくまでも実力で関白になったのであって、家柄の故に関白の位を受け継いだのではない。しかし彼は、たてまえとしては、関白の位を受け継いでいる。

2012-09-11 00:58:35
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

8】それでも「関白は/位によると/聞きつるに/金にてなるは/これぞ金箔」という落首が記された事は、「たてまえ」の主張であって、家系によらず実力でなった者は、関白とは認めれない、金箔だという事であろう。

2012-09-11 01:58:36
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

9】一方は、実際には家系でありながらあくまでも選挙というたてまえをとる。一方は、実際には実力(ある意味では投票なき選挙ともいえよう)でありながらあくまでも家系というたてまえをとる。

2012-09-11 02:58:33
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

10】こういう例は幾らでもあって、現われ出た目前の現実が日本と酷似していても、たてまえの方向は全く正反対という場合は決して少なくない(というより、むしろ殆どがそうだと言って良いであろう)のであるから(続

2012-09-11 03:58:37
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

11】続>「私はかく見た」という現実から、日本では当然とされる筋をたどって一つのたてまえを想定し、そのたてまえと現実との相関関係を勝手に想定して、対象を理解し得たと思ってはならない。

2012-09-11 04:58:43
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

12】「インド人は徳川時代の日本人同様に牛肉を食べない」といえば誤りである事は、本書を読まれた方はすぐ理解してくれるであろう。(一方は神聖なるが故、一方は、穢れているが故)。従って「いや確かに食べない。私はその事実をこの目で見た」といっても、その主張は無意味である。

2012-09-11 05:58:45
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

13】同じ事は全てについて言える――西郷の殉教と西欧の殉教者にも、アメリカ的合理主義と日本的合理主義にも――目前の現象は酷似しているが、それがよって来る方向は全く違うのである。

2012-09-11 06:58:41
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

14】合理化の為の一つの機械の採用ですらそうなのだ。例えばナショナル金銭登録機という機械がある。いわゆる「レジ」である。アメリカのセールスマンに「これは一体どういう機械なのだ、一言で説明してみたまえ」といったら彼らは何と答えるか。

2012-09-11 07:58:44
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

15】異口同音に「これは、人間を正直にする機械です」というであろう(彼らはそういう教育をうけているらしい)。この考え方は日本と逆である。

2012-09-11 08:59:03
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

16】彼らキリスト教徒は、人は罪深いものであり、誘惑に陥りやすいものであるという前提のもとに「我等を誘惑に会わせず、悪より救いたまえ」と日夜祈ってきた民族である。これを人間関係にあてはめれば、「人が誘惑にかられやすい環境を作ることは悪」なのである。

2012-09-11 09:58:56
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

17】従って金銭の出し入れにはベルが鳴り、出し入れした金額が表示され、かつ自動的に記録が残る機械を備え、それによって誘惑を断ち切り、人間を正直にし、罪を犯させない為、というのが最も共感を呼びやすい考え方で、従ってセールスのポイントとなるのであろう。

2012-09-11 10:58:50
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

18】宣教師のところをたずねたら、冷蔵庫に鍵がかかっていたので、キリスト教に幻滅を感じた日本人を私は知っている。だがこれは、幻滅を感ずる方に誤解がある。では日本人は、どういう「たてまえ」でレジを備えるのか。

2012-09-11 11:58:51
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

19】もしデパートの支配人が「お前達を正直にする為にこの機械を備える」などと言ったら、ストにならないまでも、全従業員の顰蹙を買い、管理能力はゼロを査定されて、自分がクピになるのが落ちであろう。

2012-09-11 12:58:50
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

20】現実はどうであれ「人間教徒」なら、たてまえとしては、口が裂けてもそんな事を言ってはならない。私の知っているある商店主は実にうまい事を言った。「人間ですから間違いがあります(この間違いとは錯誤の意味であろう)。

2012-09-11 13:58:52
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

21】その度に自分の店の者を疑ったり、相手も疑われているのではないかと思ったりするのは、人間としてまことに嫌ですし、職場の雰囲気の面でも面白くありませんし、モラールも低下させますから……」。そこでレジを備えるという。

2012-09-11 14:58:49
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

22】一言でいえば「自分が、人にあらぬ嫌疑をかけ、相手を傷つけ、人間としてまことに嫌な状態にならぬ為だ」という。レジを備え、売上げの窃取を防いでいる(勿論それだけではないが)のは、日本もアメリカも同じである。

2012-09-11 15:58:50
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

23】だがそこへ至るたてまえの方向は逆である。従ってレジを目にしたからといって、日本もアメリカと同じようなものだと考えてはならない。

2012-09-11 16:58:49
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

24】また自然保護といっても、ドイツ人なら「自然に整形美容の手術」を加える行き方であり、日本人なら「静かな山ふところに抱かれる」という、人間が自然に保護される行き方であって、自然保護の「現実」の外観が同じだからといって、同じ考え方だと思ってはならないのである。

2012-09-11 17:58:50
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

25】こんな事を書いたのは、互いに交われば相互に理解できると単純に考えている日本人が余りに多いからである。ジャンボ時代が来れば、世界はもっともっと狭くなり、お互いに肩を触れ合い、話し合う機会はますます多くなり、日常の事となるかも知れない。

2012-09-11 18:58:50