第四回「身体知としての気功ワークス」の感想など!
@planetart2011 気功それ自体に関しては、動きや意識の誘導の仕方、感覚のとらえ方が主になってくるので、やればやるほど変化もするし、動きも変わってきます。ただ、気功は武術とちょっと違うんですよね。たぶんおっさん(!)は筋肉質なので、すぐに筋反射が出てました。
2012-09-13 18:35:53@planetart2011 筋反射を極力出さないで、内部の感覚だけで動けるようになってくると、全然違うものになると思います。これは気功も武術も共通ですね。筋反射は動作を止めるためのものなので。
2012-09-13 18:36:49@yukio_sasa あぁ・・・なるほど。。。イメージとしてはわかってきました。ちょっと繰り返し習ったことをやってみます。こればっかりは文字通り体でわからないと(笑)。
2012-09-13 18:38:37@planetart2011 率直な感想どうもありがとうございます。今後の励みにもなります。参加者の方がどの程度体感覚があって、どこへ向かいたいのかによって、同じ講座で同じ動作でも違うことが伝えられると思ってます。感想、のちほど追加でトゥギャらせていただきます!
2012-09-13 18:41:43@yukio_sasa いえ、とんでもない。こちらこそありがとうございます。実際即日に体調には変化が見えましたし、参加した甲斐はあったと思ってます。まだまだわかってないことが多いと思いますが、少しずつ自分のものにしていこうと思います。
2012-09-13 18:47:56目に頼ると外側に意識が向いてしまっているように感じる。目を閉じれば内側が見えてくるのに。耳を澄ますと内側を感じられる。でも、聞こえてくるのは外側の音。
2012-09-10 17:09:58頭(思考・表層の意識)と心&体(感覚・情動・潜在的意識)は分かれている。ごくごく簡単なワークをやるだけで、いまの自分の状態をまざまざと認識することができる。上記の三つがバラバラだとどんなに頑張っても、ある動作が全くできない。不思議だけどね。
2012-09-12 09:24:22ただその動作ができればいい、というより、できないこと、動きの中に違和感を感じられることが大事だと思っている。思い込みの再認識ができるかどうか、ということ。
2012-09-12 09:26:39心身は思い込みでできている。毎日の思い込みで緊張や強張り、執着が形成されてしまっている。気功はその思い込みを取り外し、新しい方向へ流していくのを手助けする手段でしかない。だからまず思い込みがあること自体を体感してもらわないと始まらない。
2012-09-12 09:29:37「空想の中でその可能性を信じてしまうと、自分でそれをやってみたくなる。そのやりたくなってくるということが一番大切なことである」(野口晴哉) 昨日の気功ワークスのトークの中心がこれだったと思う。気功も整体もそのお手伝い。
2012-09-12 10:14:28昨日、お茶碗とお箸の話を少ししたけど、禅宗の道元禅師も「威儀即仏法、作法是宗旨」(いいぎそくぶっぽう、さほうこれしゅうし)、つまり立つ・歩く・座る・寝るということ、日常生活の作法が一番大事なことです、と言っている。何か特別なものがあるわけではない。特別に感じられるかどうか。
2012-09-12 11:39:15「身体知としての気功ワークス」はいつも気づかないでいる身体の感覚や、振る舞い、動作を気づいてもらう場としてあるのだろうと思う。禅と言っても、気功といってもどっちでも良いと思う(たぶん両方ともインド発中国経由だから)。
2012-09-12 11:53:20気功ワークスを経て、身体と外部に触れる表面の皮膚上に良いエネルギーの巡りを感じられる様になった。今日は良い天気というのもあってか、外に出て歩くと更に如実に感じられる。
2012-09-12 13:16:09体内にある活力の燃費を良くする手段として、気功が有効なのかは分からないけど、長らく放棄していた自分の身体感覚と、エネルギーの扱い方に敏感になる良い手段だと思ったので、続けていく。
2012-09-12 13:39:04初めのディスカッションでコミュニケーションとランニングの質問をさせていただいた。自分は一対一で少し長く話をしていると,聞こうという意識が偏りすぎて,無意識に緊張してしまうらしい。その点を@lesyeuxxさんに気づかせてもらった。確かにその傾向は普段から間違いなくある。
2012-09-12 21:06:07@lesyeuxx さんのお話しする姿も,言葉にしようとする思考のプロセスや自分の言葉が相手の必要な場所に届くのを待つ間,そのようなものが非常に洗練されていると思った。こうして書いていると平田オリザの演劇を初めて見たときのことを思い出す。
2012-09-12 21:07:16(お二人にこのような感想を述べることは,あるいは,野球選手に「野球がうまいですね」というようなもので,すごく失礼なことなのかもしれないけれども。すみません)
2012-09-12 21:09:06大事なのは,聞いたつもり,分かったつもりにならないことなのかな,と思った。感覚を敏感にして,身体に対する仮説を少しずつ自分で積み上げていくプロセスなのかな,と思った。耳と目で聞くのでなくて腹でも聞く。
2012-09-12 21:09:29それはつまり,最初の発言に戻れば,@yukio_sasaさんの振る舞いが美しいな,と思っても,なぜ,どうして美しいのかがぼくには説明できないし,@lesyeuxxさんの発話が洗練されたものであることは分かるが,その成り立ちをぼくは説明できない。
2012-09-12 21:10:11綱渡りをする人が持つ棒のことを思った。それは,その人にとって,棒の先まで神経が行き届いた拡張された身体の一部だ。それに対して,ぼくは自分の身体(の一部)を血の通わない棒のように扱ってきたのではないか,と思う。
2012-09-12 21:11:34