quitamarco (北丸雄二)さんの「自分はどう生きたいか」It's My Nature.

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北丸雄二💙💛 @quitamarco

私の周囲でいろいろと精力的に活動していてえらいなあと思う人たちが最近、ネット上やネット外でも種々の誹謗中傷や陰口やイヤミを言われて急速に疲弊してしまうことが頻繁に起きている。1人や2人じゃない。結論は「相手にしなきゃいい」なんだけど、当人にとってはそうじゃない。それは過程なのだ。

2012-09-14 02:34:49
北丸雄二💙💛 @quitamarco

たとえばなにか不具合があるときに、自分がそれを直そうと思う人と、誰かが直してくれないかなと思う人と、そして「どうでもいいや、行き過ぎよう」と思う人がいて、さてそれで、精力的に活動している人にとっては、そのときの問いは「自分はそのうちのどれか」ということ「ではない」。

2012-09-14 02:35:28
北丸雄二💙💛 @quitamarco

精力的に活動している人にとっては、その問いはつねに「自分はそのうちのどれになりたいか」ということなのだ。そういう人たちはいつも、事態をそういうものとして受け止めているのではなく、事態をどういうものとして受け止めたいか、なのだ。事態を結論ではなく、過程として見ているのですね。

2012-09-14 02:36:12
北丸雄二💙💛 @quitamarco

目の前の事象はまだ結論ではなく、なにかの過程である、なにか手を加えればより好ましいものに変えられる過程の出来事である、と考えられるのは、まだ人生にたくさん時間のある若い人たちに多い。だから世界中で若い人たちがいろいろと変革に立ち上がりもする。例外も多いけどさ。

2012-09-14 02:36:43
北丸雄二💙💛 @quitamarco

同時に、なにかに口を出そう、手を出そうというときに起きる各方面からの様々な抵抗はものすごい。それは当然の物理の法則だけれど、とても辛い。どんなに応援していると言われても、嫌がらせを受けるのは自分。どうしてそんなことまでしてこんなことをやらねばならないのかとも思ってしまうし。

2012-09-14 02:37:36
北丸雄二💙💛 @quitamarco

そうしてほとんどの人が20代、30代半ばくらいまででいま目の前の人生を過程ではなくなかば結論として諦めるようになる。それは責められるべきものでも何でもない。でも、そこを生き延びた人たちは強い。見てごらん。40代のあの人、50代のあの人、80近いあの人も、出る杭でずっと生きてる。

2012-09-14 02:38:06
北丸雄二💙💛 @quitamarco

で、結論は「相手にしなきゃいい」ではないんだ。強い先人たちを見てると、その人たちは結局、「自分はどう生きたいか」を決めた人たちなんだと思う。いや、誤解を恐れずに言えばそういうふうにしか生きられなかった人たち。他のやつらがなにを言おうが、自分はそういうふうにしか生きられない。

2012-09-14 02:38:49
北丸雄二💙💛 @quitamarco

映画「クライング・ゲーム」にこんな逸話が紹介されている。サソリは川を渡りたいのだが泳げない。そこにカエルがやってきて向う岸まで泳ぐから背中に乗せてってあげようかとサソリに言う。サソリは感謝して乗せてもらう。そして向う岸に到着するその直前、サソリはカエルを毒の尻尾で刺してしまう。

2012-09-14 02:39:42
北丸雄二💙💛 @quitamarco

「なぜ?」と問うカエルに、サソリは「ごめん、It's my nature.」と答える───応援してくれる人のためでもない、いい人だと思われたいためでもない。「活動依存さ」「偽善だね」「ちょっとかわいいから目立ちたいんですか?」。いいえ、ごめんなさい、It's My Nature.

2012-09-14 02:40:46
北丸雄二💙💛 @quitamarco

そう開き直って好きなことをやれるなら、年を重ねることも悪いことじゃないよ。

2012-09-14 02:41:28