なぜ写真を選んだか
- heliograph1950
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金曜の夜やし、みんな酔っぱらってツイッターなんてみてないやろってことで、今日は人の批評(悪口)やなくて自分の作品について考えてるキーワードをぶつ切りにしてつぶやこうかと。
2012-09-22 00:15:19そもそもなんで、写真なのか。学生から物質(ミクストメディア、ミニランドアート)、動画(実験映像、ビデオインスタレーション)、音響、写真といろいろな作品作ってきたけど、結果的に写真を選んだのか。答えはめんどくさいから。
2012-09-22 00:21:44物質系は場所使うし、実験するのでもひとくろう、動画は繊細やからちょっとでもミスると撮り直し、規格の変化が著しいし、最終的に表示メディアがないと見れない。もっと言えば電気がないと。あと、一人でできることに限界がある。(でも最近は動画も撮ってる)
2012-09-22 00:24:35音響は、サブカルとかミュージックシーンとごっちゃになるから立ち位置がめんどくさい。かといってメディア系アーティストになるのも未来が無さすぎる。(もう終わったジャンルやから。この手の企業に就職して開発者になるなら話はべつやけど)
2012-09-22 00:27:14で写真に行き着いた。フットワークが軽く、気楽。ただ(僕みみたいに何十枚もの写真でひと作品って場合)フィニッシュワークにお金がかかりすぎる。サイズでかくしたいけど、お金ない。小さく妥協するの?の往復。
2012-09-22 00:29:52前置きはここまで。以前清水批判でちらって書いたけど、僕は完全に写真というかカメラをただの光学機器にしか思ってない。目の前の世界を選択したレンズを通して静止画で記録するだけ。
2012-09-22 00:33:50つまり、カメラを何か魔法の箱みたいに捉えたり、撮った写真に自分の心情を写し出したり(内に向かう表現)はしない。写真=真を写す思想もないし。photograph=光画の視点で、光として抽象的に絵画的にまとめたりもしない。絵画の歴史は参照しない。
2012-09-22 00:38:24だからデジでもフィルムでもどっちでもいいと思ってる。ただ好んでフィルムを使ってるのは、お金はかかるけど気楽だから。出てくる画質が安定してるから、悩まなくていいし、質をあげれる(オリジナリティを磨ける)。デジだと見て枚数増えちゃうし、すぐ機械の性能がきになってしまう。新製品とか。
2012-09-22 00:43:20作品の追求の先に、写真そのものへの追求があるのかと言われると今はない。学生の頃は"研究"という言葉に惑わされて、新しいものをみたいな言葉に取り憑かれていたけど、今は自分が心の底から楽しんで、平凡でありきたりだけど幸せな人生を捨てても続けられることをやりたい。
2012-09-22 00:48:34それが何かはまだ言葉にできないけど、今僕の興味は東アジアから東南アジア。島国と大陸。西洋に対しての東洋とかそのへんに向いてる。もともと生態学とか、人文学とか好きやから、現在進行形でグローバリセージョンと文化の変化みたいなものに目がいく。
2012-09-22 00:53:30そんな視点でスキャンしていった場面が、集まって情報として繋がっていくのが今は面白い。ただこれを真実とかリアルな世界とか言う気はまったくない。ただのフィクションか、偏った視点、80年代生まれの日本人男性の視点とかそんなレベルだと思う。
2012-09-22 00:57:43多分新しいものへの探究心よりも、時代というか歴史を参照しながら、人間とは?世界って?を考える方が楽しい。そして、これには現在進行形の自分だったり、世界が、相対的についてくる。つまり、今に対して新鮮。
2012-09-22 01:05:57旬なものは見定めようとしてるし、掘りかえす面白さとかも気にかけてる。もしかしたら、そのうち写真は使わなくなるかもしれないし、イメージと言葉の関係とかももっと上手く使いたいと思ってる。
2012-09-22 01:07:43