- Mobius1_ISAF
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きょう、震災からおよそ1年と6ヵ月が経った宮城県石巻市の駅前地区、門脇地区、矢本町、東松島市、多賀城市丸山地区(陸上自衛隊多賀城駐屯地)の視察に出かけてきたので、レポートというわけではないが、ちょっと写真と短い文章をば。
石巻に向かう車中。平常に戻ったように見えるが、やはり田畑などに目を移すと、所々に災いの起こった跡が残っているように見えた(
2012-09-22 09:30:37【注意】現地で撮ってきた写真をそのまますぐに掲載した為、向きに統一感がない事をご容赦願いたい。
―一歩メインストリートから外れてみると、まだこのような損壊の酷い建物がポツリポツリと点在している。…割と新しい建物だとフレームは残っているが、1階部分の壁や床材がすっかり剥ぎ取られてしまっていたりする。古い家になれば、無論何も残っては居ない…
津波で校舎が損壊。更に、右側半分が火災で焼けてしまった。周りにあったコンビニも骨組みだけになっていたな…
―それが今となっては、土台だけ残ってしまっていたり中にはそれすらも残らず流されてしまっている。現地の人間でなくても見るのは辛いものがあるな。
陸上自衛隊多賀城駐屯地 http://t.co/wDhSLAI6 ここも仙台港からそれほど離れておらず、1m程浸水した。
2012-09-22 13:53:39仙台新港からもそれほど離れておらず、コンビナートの火災が見えるほどだったようだ。
また、通常『駐屯地』というものは他部隊の受け入れ拠点として使われるべき場所であり、民間人を敷地内に避難させる事はないのだというが、駐屯地司令である第22普通科連隊長の機転で内部に数日間避難者を収容したこともあった。
この防衛館は多賀城にかつての大和朝廷の国府(蝦夷への足がかりにするべくこの地へ)があったのに因んでこのような建物になっている。中は震災時の活動コーナーや自衛隊、旧軍時代の装備品や資料が整然と並ぶ。
震災記録集 http://t.co/7MDUl07g http://t.co/REpjkPWX http://t.co/rw8MOA4a http://t.co/HbdKNYfl http://t.co/MPplgFrN http://t.co/PC3XQzeT (cont)
2012-09-22 14:41:12防衛館続き http://t.co/Ug4q04ux http://t.co/YP9bWE1H http://t.co/eYs1ww8f http://t.co/TMnfthLm http://t.co/aMcvzvbN http://t.co/t26ZzIow
2012-09-22 14:54:56津波による浸水で、配備されている車輌に少なからず被害が出たが、裏手のやや高い駐車場(ここ)に置かれていた残存車輌で派遣部隊を編成して活動に当たったという…
多くの軍隊、あるいはそれに準ずる組織がそうであるように、自衛隊も高い自己完結性を持っている。「自己完結」とは、日常を送るために必要とされるほぼすべてを自らの装備と人員で補う能力である。…いつ、如何なる時も、何事に対しても怯まず行動する力が求められているわけだ。