一般的にはせ掛けと棒掛けは旧藩境を境に分かれてると言われるが旧伊達藩でも北上山地でははせ掛けだ。ちょっとググってみたら丸森町辺りもはせ掛けの様。阿武隈山地に入るとそうなのかな?
2012-09-25 12:32:10岩手では山間部がはせ掛け、平野部が棒掛けといった感じだと思うが、とすれば宮城でもそんな風に分かれてるのだろうか。そして何故にそのような分かれ方に
2012-09-25 12:39:21北陸では生えてる木を使ってはさ掛けするのか。なので結構高く広い面で干してるように見える。岩手でも県北だと倉の壁面にはせを組んでるのを見る。稲を掛けるかどうかは見たことは無いが、とすれば似たような感じになるかな
2012-09-25 13:44:38ふむ、「杭にかけられた稲穂は重なっているために、乾いた風が強く吹く地方で行われる。「くいがけ」の歴史は比較的浅く、明治維新前に庄内地方の中の山の方で始まり、明治14~15年ごろから平野部で、そして明治40年ごろからふつうの乾燥法として山形県以外にも広まったという。」
2012-09-25 13:53:16ふむ、宮城県でも山沿いの旧宮城町はハセ掛け。しかし岩手と違いハセの横棒は竹を使う。旧宮城町でも芋沢青野木は高台で戦後に入植が行われたため棒掛け
2012-09-25 17:09:48岩手で言うホニオ掛けは「穂鳰」「穂堆」など出てくるが「堆」は積み上げるの意。「鳰」はカイツブリのことだが鳥の巣のようだと言う事なのかな
2012-09-25 17:49:49ほう、その辺は海岸沿いでも平野では無いですよね QT @watanabejin: 羽越線建設概要の写真で温海川の棒稲架が写っている写真があったはず。
2012-09-25 20:09:59@numako 確か鼠ヶ関を境にがらっと変わっていたはずです。越後側が5段くらいの稲架木掛け、出羽側が棒稲架。今一度確かめたい。
2012-09-25 20:16:03@watanabejin ちょっとしか調べてないんですけど、秋田のは一例のみ見ましたが秋田市周辺が棒掛け、少し北の井川町がはせ掛けとやはり山間部と平野部の違いと思ってましたが、棒材の調達など他の理由もけっこうあるのかな
2012-09-25 20:23:27