森田君のディベートについて

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森田 真生 @orionis23

小学校4年のときにディベートの授業があって、それが最初は楽しくてのめり込んで、議論に勝つための方法をあれこれ探索した。でもやがて、議論に勝てるかどうかは純粋にテクニックの問題なのだ、ということが分かってきた。

2012-09-25 06:50:47
森田 真生 @orionis23

Aを肯定する立場に立とうが否定する立場に立とうが、うまくやれば必ず勝てる。実際、小学校のときのディベートの授業ではAを肯定する立場で議論をした後に、必ず逆の立場で今度は議論をさせられた。だいたい勝つ人は、どっちの立場に立っても勝つ。

2012-09-25 06:52:30
森田 真生 @orionis23

ということは、ディベートをしても、僕はひとつも賢くならないではないか、と思った。どちらかの立場に固執して議論に打ち勝とうとするよりも「はて、はたして本当はAなのだろうか、そうでないのだろうか」と先に素直に心を開いたものが、実は一番多くを得る、ということに何となく気づきはじめた。

2012-09-25 06:54:53
森田 真生 @orionis23

議論をしていて言い返そうと思えば言い返せることなんていくらでもあるけど、何かを言い返そうと思う前に、"well, maybe he might be right in some sense.."と心を開いてみたいと思う自分がむくっと立ち上がる。

2012-09-25 06:57:55
森田 真生 @orionis23

議論をするときには実は三つの立場をとることができる。「Aだ」という立場と「Aでない」という立場と「僕ははたして本当のところAなのかAでないのか分からないので、分かるまで問いを反復し続けよう」という立場である。第三の立場に立つと、議論の過程はひたすら学習の過程になる。

2012-09-25 07:08:11
森田 真生 @orionis23

そうか、ディベートというのは勝ち負けが本質じゃなかったんですね。AとnotAという二つの立場に別れて論争する。その論争の継続そのものから何かが「分かる」。あれはまさに「ともに-考える」過程そのものだったのかもしれません。

2012-09-25 07:11:14
森田 真生 @orionis23

神の視点に立てばなんだってAかAでないか、白黒はっきりするはずだという。だけど、神様だってもしかしたら「AかAでないかわからないから、ちょっと考えてみようか」って言って世界をまわしてるかもしれないじゃない。世界の根底を支えているのは、真や偽でなく、問いの反復かもしれないじゃない。

2012-09-25 07:26:13