【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】⑥
- karitoshi2011
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0チェルノブイリでソ連の核医学の権威者が健康被害を低く見積もる判断をして国策に関与し、ウクライナ等の科学者と対立してきた事情。そこに放影研の重松逸造が深く絡んでいた事情につき【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】で紹介。①~⑤ http://t.co/DE6cISRQ 以下⑥
2012-09-26 11:22:061【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】⑥ここまで事故直後の対応を見てきたが以下は長期的な住民移転の政策。第4部「放射線汚染地区の住民の移転方法における科学的推奨と政治的解決」。350mSv生涯許容線量限度というのがイリーンの基本的な立場。長瀧氏山下氏らの考え方の基礎。
2012-09-26 11:24:102【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】⑥旧ソ連の年次許容被曝量は目まぐるしく変化した。1987年30mSv、88-89年25mSv、90年173mSv。P302汚染のひどさが分かったためか?住民の実際の被曝量はどうか?イリーンは彼らの分析によれば最も汚染された地域に住む住民
2012-09-26 11:24:583【イリーン『チェルノブイリ…】⑥汚染地域住民273,000人の平均は累積(?)35mSvという。これは「ソ連保健省によって公認された非常事態状況における一般的照射最大許容レベルの5分の1以下」。イリーンは線量の最も高い地域の住民の被曝量(年次か累積か不明)を35mSvに下げたと
2012-09-26 11:25:404【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】⑥「これは被曝を減少させるための手段(たとえば…食物の消費に対する厳しい制限)によって、最高80%まで被曝量を減少させることができるということである」。要するに移住・避難しなくても被曝量は減らせるとの主張。だが、ここから先が主要な主張。
2012-09-26 11:26:535【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】⑥他方、放射線ばかりにこだわると他の健康影響要因が軽んじられることが明らかになってきたという。「汚染地区に住む住民の伝統的生活スタイルの劇的変化や深刻な心理的、社会的影響による健康への害、さらに食べ物の品質低下による
2012-09-26 11:27:176【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】⑥「健康に対する害を伴う変化に対しては目を向けていないことが明らかになってきた」p303。国家放射線防護委員会もこうした「より広い広範な考察」を無視。どうしてそうなったか?「問題の根本には何があるのだろうか?」答は閾値の問題だという。
2012-09-26 11:27:347【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】⑥イリーンは「閾値なし」説を厳しく批判。その後の原爆疫学でも国際的な合意においても「閾値なし」はますます明確になりつつあるが、イリーンの考えはそれに対立。閾値ありだから、移住はしなくてもよかったという立場が強く打ち出されている。
2012-09-26 11:27:468【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】⑥イリーンは「閾値あり」説。「放射線の影響には閾値がないという仮説は、非常に保守的なスタンスを反映している。多くの科学者の意見の中で、それは、医学的意味においては最も人道的なアプローチであるけれども、それは同時に後障害の」
2012-09-26 11:28:039【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】⑥「実際におこりうる危険を過大評価して」いる。「科学的な理論という観点における、非閾値という仮説の主な欠点は、有機体の中で絶えず行われている修復過程の役割を無視しているという事実である」。この閾値ありかなしかの問題の含意は何か?
2012-09-26 11:28:1610【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】⑥イリーンは閾値あり説は新しい科学技術による社会経済的な利益を損なうものだと述べる。「一つのリスクを避けるための努力は、実際には社会に対してはるかにより危険な他のリスクをうむ結果となるかもしれない。それゆえに、実際の状況に」
2012-09-26 11:28:3111【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】⑥関するある種のリスクに対する、経済的、社会的にみて合理的なレベルを確立するための統合化されたアプローチの必要性がある」p306国際的にもこのことが確認されている(ICRPのリスクーベネフィット論、「最適化」論を示唆)。「したがって」
2012-09-26 11:28:4712【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】⑥「住民の集団移転は、利点(ある放射線量への被曝の回避)が、彼らの移転と貧弱な社会的再建の結果によってこれらの人々の健康における害以上の利点がある時にのみ可能となる」。この考え方は共産主義の下では受け入れられなかったと。
2012-09-26 11:29:0213【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】⑥日本の専門家が日本の公衆がリスク論を受け入れる姿勢が足りなかったと批判するように、イリーンも旧ソ連ではリスク論的な認識が欠如していたという。P308-9「1991年の国際チェルノブイリ・プロジェクト(重松委員長:島薗注)において」
2012-09-26 11:29:1514【イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』】⑥「外国の専門家は…人々の移転に関係する利益と害についての多くの要素に基づく分析によって評価することを提唱した。しかし、彼ら(共和国と連邦レベルの科学者と指導者)は同意しなかった。誰一人賛成しなかったのは、そのような評価の」
2012-09-26 11:29:2915【イリーン『チェルノブイリ:虚偽…』】⑥「方法について何も知らなかっただけでなく、不幸なことに国際的な慣例で認められた放射線防護についての体系的な最適化の方法すら知らなかったからである」。イリーンは集団移転反対派の「我々」は断固として主張したが少数派だったと誇らしげ(続)
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