茂木健一郎氏 @kenichiromogi 【領土問題について、知識人(真のグローバルな)がとるべき態度】連続ツイート
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連続ツイート第731回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、昨日から今日にかけてTL上に流れていたニュースに対する所感。
2012-09-30 08:54:27![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
りち(1)いわゆる「知識人」という言葉をどのように使うか。時に揶揄の意味でも用いられるが難しいが、ここでは、世界知において深さと先端性において模範となる人と言うことにしよう。知識人が、領土問題や、ナショナリズムに対して距離を置くのは当然のことである。それには必然的理路がある。
2012-09-30 08:55:38![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
りち(2)領土を巡る紛争とは、つまり、有限の資源をめぐる動物の攻撃性の延長であり、群をつくり、自分たちの仲間には有利になるように事を運ぼうという進化論上の淘汰圧に過ぎない。それに、「愛国心」だとか「国家の主権」とか概念をかぶせるが、本質はきわめて原始的な衝動である。
2012-09-30 08:56:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
りり(3)むろん、原始的な衝動であるからと言って、生きる上で意味がないわけではなく、むしろ中心的な意味を占める。一方で、領土紛争はその本質において利己的なものであるから、人類普遍の価値や、原理には接続しないことも言うまでもない。だから、「知識人」は領土問題に距離を置く。
2012-09-30 08:57:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
りち(4)もっとも、距離を置く、と言っても、その立ち位置には工夫がいる。自国のナショナリズムを批判するのは健全だが、本来、人類普遍の価値を目指すべき知識人は、相手国のナショナリズムに対しても批判的でなければ釣り合いがとれない。領土問題について、利己的なのはお互いさまだからである。
2012-09-30 08:59:12![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
りち(5)日本のナショナリズムを批判的に見るのであれば、同時に、中国や韓国のナショナリズムも批判的に見て、双方に抑制を呼びかける。これで初めて釣り合いがとれる。一方的に日本のナショナリズムを批判するのは、「敵」を利するから間違っているのではなく、スタンスそのものが錯誤している。
2012-09-30 09:00:24![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
りち(6)ここに、日本のいわゆる「戦後知識人」が、保守派から批判されてきた理路がある。保守主義は、人間は変わらないものだという諦念に発する。自国がナショナリズムならば、相手もナショナリズムである。要するにお互い様だということになれば、「知識人」と「保守」は一致するはずだ。
2012-09-30 09:01:46![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
りち(7)つまり、戦後の日本の知識人の一つの陥弊は、自国のことしか見えていないということ。日本の欠点は、実は他の多くの国にも当てはまる。人類が共有する脆弱性として問題をとらえて、初めてグローバルな意味での付加価値に寄与すると言える。結局、知識人といってもドメスティックなのだ。
2012-09-30 09:04:35![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
りち(8)これは全く仮の話だが、日本を代表する「知識人」が、日本の「右傾化」について懸念を表明する。立派なようで、立派ではない。日本しか見えていないからだ。日本のカウンターパートである中国や韓国におけるナショナリズムの構造にも気を配ってこそ、初めて地球クラスの知識人と言える。
2012-09-30 09:05:56![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
りち(9)結局、国内仕様のガラパゴスな知識人が「良心」を吐露してきたがために、戦後の知識人のイメージは地に落ちてしまった。真にグローバルな「知識人」は人間の保守性にも目を配りつつ、主権国家の脆弱性を普遍的に論じることができるはず。ナショナリズムの危険は、日本だけのことではない。
2012-09-30 09:07:44