「身体知としての気功ワークス」第五回目の感想など。
自分で言っておいてなんだけど「想像力の柵」を越えるって何だろうって思っていた。かなり深いトランスに入ったとき、自分の想像“力”から得たものではないものが自分の中に入り込んでくることがある。それは自分の力によるものではないという意味で普段の想像力を越えていると感じられる。
2012-10-03 15:37:02「身体知としての気功ワークス」第五回目に参加させていただきました。Twitterの使い方がよくわからないのですが、連続ツイート行きます。
2012-10-05 01:22:05わたしにとっては、土地勘ゼロの地域での開催でした。相性の悪い地図とだと池袋の駅からプラネタリウム満天に行くのに40分も道に迷ったりするのですが、今回は事前にいただいた道案内がわかりやすく、一度でスムースに辿り着けました。道案内を作ってくれた方に感謝です。
2012-10-05 01:22:16物思えば沢の蛍も我が身より憧れ出づる我が身なりけり(和泉式部)―のように、ふわふわとしている時間が結構あります。そういうときは、身体はかったるくて、どこか遠い場所、窓の外の事などに思いを馳せています。
2012-10-05 01:22:51そんなふうに、その時々の自分は身体の状況に大いに左右されているんだけど、扱い方がわかりません。未知だろうやり方で身体にアプローチするのも、面白いかもしれない。ということで参加させていただきました。
2012-10-05 01:23:17肩を回すなどして身体をほぐす準備段階から、いままで自分が見てた身体と、見る目のある人の見る身体って違うということが示されて、意識ひとつで身体の動かしやすさがぐっと変化するのが感じられました。
2012-10-05 01:23:26気が、結構ちゃんとクリアにあると感じられました。あるといえばある? とかじゃなくて、おおっ、こんなにあるんだ、意外! という感じで。質感の変化も感じられて、興味深かったです。
2012-10-05 01:23:37気を触りながら、身体の動作を通じて意識を触れるんだな、とか、ふわふわと霧のように散っていきがちな意識に翻弄されてたけど自分で呼び戻すことができるんだな、とか、何をどのように意識したり/しなかったり を予想以上に自分で選べるんだな、ということを片隅でぼんやり捉えていました。
2012-10-05 01:24:02それを、頭の中で言葉を使って考えたのではなく、身体という具体的な場所を通じてわかった。そういうことを、身体を軸にして行えるのは、外部帰属化ができないということになるのかもしれないけど、外部帰属化できないほうが楽なのかも。
2012-10-05 01:24:12昨日は、朝起きて、ほぐし→スワイショウ→雲手→タントウ功を。昼休みにはスワイショウ→雲手をやってみました。意識が身体の傍から離れてどこかへふわふわと飛んでいってしまう感じが無くて、こまめに、丁寧めに動くのが楽でした。
2012-10-05 01:24:21気功の中で、身体を動かしたり、感じとったりしていく過程を通じて、どこかが整う感じがあります。続けてみてわかるものも、ありそうな気がします。 連続ツイート、今夜はこの辺で。
2012-10-05 01:24:51