- ttt_ceinture
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ありがとうございます。でもどうでもいいなそんなこと。RT @ttt_ceinture: そのとおりなんですけど、それは映画史的に高リテラシーな話なので、国内言説の偏りにおける運用面による誤解が気にかかってしまうという留意ってことです。@kmrtwit
2010-07-28 22:04:23いま確信をもっているのは、1940年代ネオレアリズモに感化されたロンドン、パリ、リオデジャネイロ、東京、ワルシャワ、リスボン、プラハ、ニューヨークの青年たちが感じたことと、日本各地でブルーバード映画を観て、小津、伊藤大輔、牛原虚彦、山本嘉次郎らが感じたことは、ほぼ同一ということ。
2010-07-28 21:44:10そのとき、国民言語と国民性を一旦括弧にくくり、映画技術と現れをめぐって平等的に見る視線が成立したということなのか、それとも、その平等性のあとでの選別=趣味の成立を見るべきなのか、重点の置き方次第で話が変わってしまうので、難しいなあ、という気持ちがずっとあって。@kmrtwit
2010-07-28 22:14:30趣味はあくまでも個人のものであってシネフィリーがそのいいわけとして運用されるのだとしたら、本質的なシネフィリーを見失ってまでそのいいわけにつきあう必要はないんじゃないですかね。@ttt_ceinture
2010-07-28 22:21:15イタリフィルム http://bit.ly/aMMRGC がネオレアリズモをリアルタイムで日本に持ち込んだからこそ、日本はヌーヴェルヴァーグと同時多発した世界のムーヴメントに参加することができた。トリュフォーにとっては少なくとも、東京とリオデジャネイロは若干彼をリードしていた。
2010-07-28 21:50:00イタリフィルム http://bit.ly/aMMRGC がもう10年続いていたなら、イタリア式コメディが日本にも本格的に紹介されていただろう。1962年ディーノ・リージの『追い越し野郎』は東和が配給しているが、ほとんど日本に紹介されなかった。『セッソマット』の監督である。
2010-07-28 21:56:17パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレという固有名詞をどれだけの日本人が知っているだろうか。『若者のすべて』や『山猫』の脚本を手がけたヌーヴェルヴァーグの同時代人物で、1963年に『つかの間の恋心』で監督に転向、『女性上位時代』1968年等を撮るがほとんど日本で公開されなかった。
2010-07-28 22:03:17グリフィスが俺もう日活向島みたいなちまちましたセットでやってる場合じゃねえぜと莫大な借金を背負ったのと、ネオレアリズモ同様にカメラを町に持ち出したヌーヴェルヴァーグが違うのは、同じイタリア映画でも手本の見せ方が時代によって間逆なくらいモードが違ったということです。
2010-07-28 22:14:05趣味を括弧にくくった上での、技術と製作環境の変化に基づく、世界的影響のネットワークから見るとき見出される「イタリア映画」とその映画史内の位置づけか。
2010-07-28 22:17:11@TakeYoshida 発達史にわりと丁寧に公開日が書いてあるので、日本公開順に補完したいんですが、すべて書かれているわけではないので困りもするのです。
2010-07-28 22:22:37@borujiake 後期のロッセリーニはTV作品を作り始め、歴史映画を連発させるのです。最後のほうの作品は『メシア』(1975)とかがある。作る前に死んだのマルクス伝だったかなあ。80年代あたりのゴダールはたぶん後期ロッセリーニを意識してますよ。
2010-07-24 23:54:47@ttt_ceinture 恥ずかしながらロッセリーニはイタリア旅行、ストロンボリあたりで止まっているわけです。まさしくロッセリーニ不認知症にかかっていて。
2010-07-24 23:57:23@mesmer1709 後期ロッセリーニをめぐる日本国内の認知と上映の乏しさ(というか皆無)は、西村安弘がアドリアーノ・アブラ編『ロッセリーニ 私の方法』を編訳し、訳者あとがきで嘆いた1997年から一ミリたりとも変化していないと思う。
2010-07-24 23:50:20@borujiake ストロンボリすばらし!因みにイタリア旅行は実家で観たのですがおふくろ爆睡してましたww。イングリット・バーグマンってそんなに駄目か??
2010-07-25 00:02:39@borujiake いやそうじゃあなくって私はいいと思っているのですが・周りの連中がバーグマン駄目だっていうのが多くてww。私はストロンボリのバーグマンが一番いいと思っていますが
2010-07-25 00:11:02