不快なことを我慢することに、見いだすべき価値なんてない。そういう当たり前のことを時折思い出してみる必要がある。
2012-10-10 01:45:43しかし、不快なことに沢山耐えた人が偉い、といったような不思議な価値観が日本には充満している気がする。
2012-10-10 01:46:49例えばやりたくもない仕事を毎日毎日し、疲れ切って家に帰り、家族に不快感をまき散らす、という在り方にどんな価値があるのだろうか?
2012-10-10 01:54:26理不尽なことばっかりでしたよ。でもそれを何とか変えて行くのが偉いのであって、耐えているだけじゃ偉くありません。@myshi_sp アップルにも理不尽なことはたくさんあるように思われますが、松井さんはアップル時代に理不尽を感じることはありませんでしたか?
2012-10-10 02:02:45勤務先でイヤなことがあるのは、まあ構造的に仕方がないような部分がある。そこでそのような状況を変えていく方向で努力をする考え方と、イヤなことに耐えて、そういう自分を頑張った自分として認めてもらう、みたいな方向がある気がする。
2012-10-10 02:05:45孤立と自立は似ているが違う。なにが違うのかな?考えて、整理しておきたいことのひとつだ。
2012-10-10 02:07:47@Matsuhiro 孤立は、周りに協力してくれる人がいなくて独りでやるしかない状態。 自立は、協力してくれる人はいるけど頼らず自力で頑張る状態。 だと思ってます。
2012-10-10 02:12:32個人的には、消極的単独と積極的単独の違いではないかと考えます。 RT @Matsuhiro: 孤立と自立は似ているが違う。なにが違うのかな?考えて、整理しておきたいことのひとつだ。
2012-10-10 02:53:39確かに不快な事に耐える必要があることが存在するのは間違いないけど、耐える必要があることとないことを理知的に区別する思考を最初から拒否している。 RT @Matsuhiro しかし、不快なことに沢山耐えた人が偉い、といったような不思議な価値観が日本には充満している気がする。
2012-10-10 03:43:06@Matsuhiro 孤立は、一人で立ちつくしているだけ。自立は自らが立つだが、そこには拠って立つ意味がある。つまり自らが他者を支えると同時に支えられている関係。楽で快適(笑)
2012-10-10 03:54:04ここしばらく色々と考えさせられることが沢山あった。主に家庭内や学校、職場などの人間関係に関するさまざまなこと。
2012-10-10 05:40:31カネで片が付く事というのは、やさしい。難しいのはそうではないモロモロのこと。
2012-10-10 05:41:15例えば職場、部活、あるいは家庭などでも見られる「可哀想」競争。これは誰が一番悲惨な眼に遭っているかという競争のようなもの。
2012-10-10 05:42:10なるべく悲惨な目に遭っており、救いがないほど偉い。こういう立ち位置の確保の仕方は確かにある。
2012-10-10 05:43:11それから「頑張ってます」競争とか。役に立っているかどうかとかどうでもよい。頑張っている感じが大切。こういう努力競争みたいなのもある。
2012-10-10 05:44:16それから「辛いことを我慢している」競争というのもある。これは誰が一番辛いか競う競争。家庭内でよくある。イヤな仕事に耐える夫。イヤな夫に耐える妻。イヤな学校に耐える息子、みたいな。
2012-10-10 05:45:26@Matsuhiro 帝国陸海軍もそうでしたが、組織が抱える矛盾をそういう言葉で多い隠す傾向にあるのだと思います。特に上層部の人間ほど。一方アメリカ軍は結果が出せない将軍がいれば戦闘の真っ最中でも容赦なく更迭しています。
2012-10-10 05:47:22「頑張っている」=「不快なことに耐えている」になってしまってはいないか?「不快なことに耐える」ことそのものには価値はないのだ。
2012-10-10 05:47:36つまりまあ何が言いたいとかと言うと、色々と不合理な気持ちの悪い競争が色々あって、それはなんで発生するのだろう?というあたりが気になっている。
2012-10-10 05:49:38そうなんですよ。たとえば「可哀想な人」競争、アメリカではあんまり目にしません。@melonVFX それぞれの文化に独自の競争ってのがありそうで興味深いw
2012-10-10 05:53:10自分がある不快なことに耐えたとしよう。例えば先輩のイジメとか。そのこと自体に意味はない。だが自分が必死にやったことを「無意味だった」と考えるのは辛いもの。で「根性が付いた」などと意味付けするのではないか?そして同じことを下の世代に繰り返す。
2012-10-10 06:00:33俺はよく殴られて育ったが、あれも意味がない。でも「意味がない」と言ってしまうと、自分が非常に間違って育てられた気がして、辛い。そこで「厳しく育てられて良かった」、「今の親はなっとらん」などと意味づけしたくなる。
2012-10-10 06:02:26しかし若い時に異なる文化圏、異なる家庭で時間を過ごす機会に恵まれ、あの「殴って育てる」は害ばっかりだな、と気付いてしまった。気付いて良かった。気付かなかったら多分自分の息子も殴って育てただろう。
2012-10-10 06:04:39アメリカと日本の両方で部活をやってみて、一番驚愕したのは「先輩がイバる」という仕組みがないこと。なんだ。部活って先輩が威張んなくても成立するんじゃん、みたいな驚き。
2012-10-10 06:14:33実は競技そのものが強い先輩って威張っていなかったりする。先輩の競技力が優れているから威張らなくても存在意義を認められている。無駄に威張るのは大抵競技力の低い先輩。そのくせ自己承認に飢えているようなタイプ。
2012-10-10 06:18:57